「哲学随想」
Japanese Dream Realization



 「天の配剤としての哲学者と歴史哲学について」



 哲学者というものは、人類の歴史を通じて、様々な時代に、地域に、常に存在し続けてきたのである。それは、東洋、西洋、日本とを問わず、その時代を代表する哲学者が育む思想を基点として、新たな歴史が創られてゆくのである。

 故に、よくよく歴史というものの本質を研究せよ。歴史というものをその背後から規定し、形創ってきた哲学者達の思想を一つ一つ分析してゆきなさい。天は、様々な哲学者を遣わして、その時代その地域の「時代精神」を創ってゆかれるのである。

 各々の哲学者にはそれぞれに固有の天分があり、その天分に応じた固有の天命というものがあるのである。このように、天の配剤というものは確かに実在し、一人一人の哲学者が天より与えられた天命を遂行しているのである。そして、その天命を受けた哲学者の思想の感化力、影響力によって、様々な歴史が創られてゆくのである。

 故に、一人一人の個性的な哲学者の見解の違いと同一性は、それがそのまま、その文化文明の多様性の可能性と同一性の源となるものなのである。

 歴史には、時代と地域を超えて、似たような思想哲学を持つ哲学者がいるものであり、そのような時代と地域を超えて一致する思想的傾向を持つ歴史的人物をつなげてみることもまた、悦びなのである。

 諸君らは、哲学者一人一人に共通する個性の同一性があることを学び、悦ぼうではないか。また同時に、こうした哲学者一人一人に個性の違いがあることも学び、悦ぼうではないか。

 古今東西の文化文明を比較洞察し、その基となった各々の哲学者の個性の類似点と相違点を学んでゆけば、自ずから、その背後に天の意志というものが確かに実在するという歴史哲学的視点が導かれてゆくのである。

 人類の歴史というものがその時代地域を彩る哲人が生み出す思想によって出来ているということは、人類の歴史の本質と秘密を看破するために、非常に肝要な視点である。

 このように、古今東西の哲学者の思想を洞察比較してゆくことによって、必然的に自ずから歴史哲学の視点を持つことになってゆくのである。それはまさしく、その哲学者の思想の背後に天の配剤を見出し、肯定する歴史哲学となってゆくのである。





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