「哲学随想」
Japanese Dream Realization



 「イデアの発見からあらゆる創造行為が生まれることについて」
〜日本のイデアを見性せよ〜



 日本精神には、日本精神のイデアというものが実在している。これをつかむことが、真なる創造活動につながってゆくのである。日本精神のイデアをいかにつかむことが出来るかということが、日本哲学をいかに深く観照してゆくことが出来るかということにもつながっている。

 日本のイデアを探究してゆく道は、永遠の日本人を探究してゆく道であり、日本のイデアを観照する限りにおいて、永遠の日本人というものは創造されてゆくのである。永遠不滅の美しさというものが、本来的に存在しているのである。それを探究してゆくことが、真なる哲学的営みであるともいえるのである。日本人としてのイデアを観照してゆけば、時代を超越して、日本的なるものという精神が存在するのである。

 何を美と考えるかということのはじまりは、高度な直観が働いているのである。天才の高度な直観によって、何を把握することが出来るかということが、創造活動の本質である。まず、何よりも、イデアを認識しなければならない。生き生きとした精神の光明を把握しなければならない。

 何故に特定の日本人が美しいといえるのかということを、深く探究してゆかなければならない。そこには、意志を滅却した、真なる純粋精神の顕現というべきものが認められるのである。真なる鏡のような認識主観が、そこに発見されるのである。イデアを映しうる鏡となるべき日本人が求められているのである。その言動や後ろ姿の中に、イデアが映されているもの、イデアを実現しようとするものが本物である。

 日本のイデアは、日本のイデアとして、普遍性を持っているのである。永遠性を持っているのである。真に日本のイデアが顕現すれば、その美しさは、国境を超えて、時代を超えて遺ってゆくものである。時代の流れに左右されない永遠の祈念碑がそこに生まれる。日本精神の背柱ともいえるものが、そこに生まれてゆくのである。

 日本のイデアを認識しているのは、独り日本人だけとは限らない。世界の人類が、日本国のイデアを認識する契機をもっているのである。それは、オリンピックや世界大会などで顕現することも多い。日本のイデアが普遍性をもって、永遠性をもってそこに顕れたならば、それは自然に美しいといえるものなのである。特殊な条件によってそういえるのではなく、より永遠なるもの、普遍なるイデアが顕現成就されているものをいうのである。

 日本のイデアを象徴するものは、例えば桜であったりするのであるが、桜や月や雪や富士の似合う日本人というものは、精神の内奥において、無限の可能性をもっているのである。大和魂というものにもイデアがある。究極の形而上学的実在である。そこから分かれてくる分霊を宿しているものなのである。個人がこの大和魂のイデアに真に目覚め、真なるイデアを観照し、創造し、実現してゆく時、日本精神が不死鳥のように再創造されてゆくのである。

 永遠に深い精神性に裏うちされた日本人というものは存在しているのである。どのような衣装をつけていても、どのような色をまとっていても、そこに永遠の日本精神を顕してゆくことは出来る。要は、魂が問題となるのである。いかなる魂をつかみ、宿らせることが出来たかということが問題となるのである。魂が何をつかんだのかということが根本的に問われるのである。

 その時に、日本のイデアであるものをつかんでいることが大切である。日本の本来のイデアを直接につかんでいることが根本である。そこから真に日本的なる美が生まれてゆくのである。

 究極の実在として、既にイデアはあるのである。神々の生命の灯はあるのである。唯一無二の太陽は存在しているのである。この太陽を顕現してゆくということである。精神の大道を開示してゆくということである。永遠に美しいものの中にそれを表してゆくことである。永遠に美しいものを、己が人生の中で創造してゆくことである。

 真に美しいものは、的確な言霊を待っているのである。直接イデアを表象する言霊を待っているのである。イデアを表現することが、創造行為の源である。イデアを発見、見性することが、あらゆる創造行為の出発点であり、終局点である。イデアが表現される限りにおいて、永久に朽ちることのない美というものが表現されることになるのである。

 真に歴史の風景に耐える美こそが求められているのである。真に見性、発見されたものが本物であれば、それは、新しい歴史を自然に創ってゆくものなのである。その精神の輝きは、やがて国境を超えてゆくものなのである。

 哲学者というものは、永遠にイデアを発見し、それを叙述するものである。見性された美が、より高き精神性に裏うちされていれば、美は限定を超えて、輝き咲いてゆくものである。その言霊の一つ一つは、歴史の中に遺ってゆく。一つの哲学を示しつづけてゆき、伝統を創ってゆくのである。イデアを発見すれば、そこに真象が生まれてゆく。真象が生まれてゆけば、そこに大調和が生まれてゆくしかないのである。

 実在そのものがそこにある。イデアそのものがそこに輝いているのである。日本のイデアを見性、発見することが、日本の哲学となることの源であり、大道である。発見された真理があればある程に、真理が大和魂に生命を吹き込んでゆく。日本精神を止揚統合し、新生させてゆく。永遠に美しい日本と日本人が、そこに誕生してゆく。

 私達が知っている日本人は、天然の美しさをもっている。永遠に遺る美しさをもっている。私達が真に描きたかったものは、永遠に朽ちあせることのない日本の美である。あらゆる美学が、このイデアの認識から生まれてゆく。

 見性されたものから見性されたものへと伝わるのが美意識である。見性された美は、必ずや、歴史に新しい刻印を与えてゆく。直接表象された美とは、必ず、言葉にも哲学にも表現出来るものである。表現されたものが明確な精神像として遺ってゆくのである。思想的にも適確に表現されたものは、翻訳されて世界言語となって、世界に登場してゆく。イデアを徹見すること、それに尽きている。

 美しいものは、時空を超えて美しいのである。概念を超えて直接把握された美こそが尊いのである。それは、必ずしも学問の中にはないかもしれない。本人が主体性をもって自ら観得してゆく美の本質である。

 魂の本源的なる美に立ち戻る時、魂は永遠の美の光明を解き放つ。日本のイデアが表現された時、私達は、それを奇蹟の時といってもよいであろう。日本のイデアを真につかむ時、日本にあっても日本を超えてゆく。世界的普遍性、永遠性が付与される。

 日本の真如をつかむことが、日本哲学の始まりである。日本の真如に触れることが、日本哲学の創造である。真理性こそが、永遠の実在である。真理の発見こそが、真なる創造である。真理の美こそが、真なる美である。本来の美は、そこに忽然と見性されるものである。

 芭蕉や西行のように、イデアを発見すれば、自ずから新しい日本人が誕生してゆく。惟神の大道の中には、実現されるべき無限の生命が遺されている。未だ表現されたことのないイデアが無限に存在しているのである。未だに開拓されていない美の世界が実在しているのである。

 イデアを真に観照せよ。発見せよ。そして、創造せよ。何が美しい日本人なのか、何が美しい国家なのかを明確に書き記せ。それが哲学である。何が美しい地球であるのか、世界であるかを明らかに示せ。それが、世界的思想であり、哲学的営みである。絶対無なるものを解析せよ。イデアを含むものを発見せよ。究極の場所がそこに顕れるのである。

 イデアは、まずはプラトニックラブによって知られるかもしれない。その愛を超えてゆくこと、止揚されてゆくことによって、実在へと到るのかもしれない。ならば、その精神の軌跡を一つ一つ記しておこうではないか。精神の成長の過程を記しておこうではないか。イデアが一つでも多く発見されていれば、それが人生の真なる収穫となる。その中から世界に通用するもののみを遺してゆけば、そこから古典精神が生まれてゆくのである。そこから文化文明が生まれてゆくのである。

 イデアの発見は、真なる哲学的営みによって可能となる。イデアが直視された時、自ずから創造活動が生まれる。創造することこそ、愛の本質である。エロスの精神の発動である。創造することは、美しい対象に対して本来なされることである。真なる恋から、真なる創造は生まれる。精神が真に恋をして創造活動をしようとする時、全てのものが観えるようになってゆく。盲目ではなく、見性こそが、神的狂気の本質である。

 イデアを発見してゆくことが、エロスの本質である。日本精神に恋することから始まり、日本精神を創造し育んでゆくことになってゆく。イデアを直接認識する精神にとって、イデアは表現しうるに足る光明である。イデアを表現しつづけてゆけば、その精神は無限へと向けて成長してゆくしかないではないか。

 真に美しいものをつかもうではないか。美しいものを探究してゆこうではないか。イデアを探究しようと志す時、イデアの光明は無限に湧いてくる。イデアそのものから、福音は伝えられる。イデアから生命を授かる。イデアから授かった生命を吹き込んでゆくのである。イデアから込み上げて止まぬ魂を吹き込んでゆくのである。それが、創造行為の常なる原点であり、定点である。

 イデアの発見の積み重ねが、一つの哲学であり、思想であり、芸術である。発見される程に、イデアは本来の純粋光を放ってゆくのである。




〔 光明祈念歌 〕
精神の
     奥なる力
湧き出して
美を照徹す
無限の思想
(貴)









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