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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「善のイデアと理性の認識の哲学の系譜について」 |
イデアを真実在とする哲学の骨子は、普遍的に人類の哲学史を彩っている。地上における現象というものは、イデアの影であるが、それ故にこそ、イデアを分有するものである。それが物事の本質である。 これに対して、アリストテレスは、形相と質料を考察の手段とする。形相とは、プラトンにおけるイデア(理念)のようなものである。 しかし、アリストテレスは、地上にある存在自体にも意義を認める。確かに、天上世界のことを考えてゆくだけで、地上世界に全く力点を置かないのも、バランスの悪い考え方でもあろう。 さらに、アリストテレスの「エネルゲイア」(エネルギー)という概念は、科学、特に、物理学の源ともなっているものである。 物に理法・法則があるのである。この法則のことを形相といい、それは、イデア(理念)と言ってもよいのである。 カントは、イデアのことを、理論理性では認識出来ないが、実践理性においては、道徳法則を、善のイデアを認識出来るとしている。 そして、カントは、イデアは考えられるだけで、物自体(イデア)は認識出来ないのではないかと理性批判をしてゆくのである。 これに対して、プラトンは、デカルトのように、理念(イデア)は理性で認識されうるとし、思索されるものはイデア(理念)であるという。 プラトンには太陽や洞窟の比喩があり、善のイデアそのものは認識出来ないが、その光の影の姿は認識出来て、そこから善のイデアの実在を認識してゆかなければならないとするのである。 |