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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「魂の実在と神々の実在について 常にプラトンの原点に立ち返ること」 |
プラトンは、人類史におけるあらゆる哲学の原点である。例えば、プラトンの『法律』の対話篇においても、魂の存在と神々の存在が重視されていて、プラトンは、正しさの源には神があると述べている。 このように、魂の実在と神々の実在の論議がなければ、そもそもプラトンの哲学は成立しないのである。 これは、マルクス・アウレリウスの『自省録』においても、基本的には、魂の実在と神々の存在に基づいて、その倫理学が述べられているものである。 また、近代におけるルソーの『社会契約論』などであっても、魂の実在と神々の実在について、様々に深く探究されている。 このように、魂の実在や神々の実在を語り、深く探究することは、本来、哲学の良識であるということを銘記しなくてはならない。 特に、カント以降の近代哲学の流れにおいて、認識出来ないものは、実在として、論文において論じないという学問のあり方は、本来のプラトン哲学の価値尺度ではないのである。 今こそプラトンの原点に立ち返って考えてみることが、新時代の哲学にとって、必要不可欠なことではないであろうか。 カント哲学であっても、よく読めば、特に『実践理性批判』において、魂の実在や神の実在、叡智界の実在について、論証し、認めて、その場所を設けているのである。 従って、カントの本心に立ち返るという意味においても、常に、プラトン哲学の原点に立ち返ることを、あらゆる哲学考察の原点とすることである。 |