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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「プラトンの『パイドン』における魂の不死とイデア界(叡智界)について」 |
プラトンの『パイドン』は、プラトンの最高の作品であると、ルソーも『新エロイーズ』で述べているし、西田幾多郎も、哲学随想の中で述べている。 この『パイドン』の中においては、魂は、生まれてくる前からあり、死んで後も存在するのであるということが述べられており、また、ソクラテスは、ダイモーンという神霊によって導かれていたとされている。さらに、真に哲学を学びつづけることこそが、神々に到る道であるとも述べられているのである。 これに対して、近代哲学を象徴するカントは、「真」を『純粋理性批判』で、「善」を『実践理性批判』で、「美」を『判断力批判』で論じているが、かのショーペンハウアーが述べているように、プラトンの形而上学・認識論と、カントの形而上学・認識論は、本来、その本質において、同様のことを述べているのである。 プラトンが云う所の真善美のイデア(理念)の世界を「叡智界」と云うのであり、カントは、この「叡智界」よりの定言的命法を、「永遠普遍の道徳律」の立法と云うのである。 それは、真なる自由の条件である。われわれ人間は、己が自由意思に基づいて、真善美、特に、善悪を判定するのであり、この真理に基づいた価値基準から善悪を判定してゆくのが、己が内なる良心であり、実践理性なのである。 ルソーの形而上学(道徳論)も、基本においては、己が内なる良心・実践理性による善悪の価値判断に基づいて、真理の善悪を判断するものなのである。 このように、プラトンのイデア界(理念界)と、カントの叡智界(理念界)は、本来、同一のものなのであり、両者の哲学は、その本質において、軌を一にしているのである。 |