理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「哲学的教養の書と指導理性の声と思索について」



JDR総合研究所 代表
天川貴之




 モンテーニュの随想録も、エマソンの随想録も、同時代にそんなにベストセラーとなったものではない。ゲーテの書も、ショーペンハウアーの書も、一部の人々に理解されて、継承されて、受け継がれてきたものである。

 このように、哲学的教養書というものは、一般的に売れようと思って書いてゆくものではないのである。真に哲学の糧を必要とする理解ある人のために書き遺してゆくものなのである。

 しかし、歴史的には、真なる哲学的教養書は、時を経て、不動の地位を得るようになってくるのである。たとえそこまではいかなくとも、自己の哲学的良心を満足することが出来るものを、自らの理性の範囲で創造してゆくことは大切である。

 このように、自己独自の理性の思索の跡を遺してゆくことは非常に重要である。自らの内なる理性による個性的思索の過程が、唯一無二の知的な文章となって結実してゆくのである。

 数多くの哲学的古典を読みふけりながらも、自己の問題意識を持って、主体的に思索出来ることを思索しつづける努力をしてゆくことである。その弛まぬ努力の積み重ねが、やがて一冊の本と成って結実してゆくのである。

 自己の内なる指導理性の声を記録してゆくことである。自己の内なる実践理性の声を記録してゆくことである。知性は、自ら主体的に描かれることによって、自己特有の知的生産物を創ってゆくのである。

 我々は、もともと何のために読書をしているのかと言えば、自らの心境を高くし、教養度を高め、自己独自の唯一無二の思索を綴ってゆく所にあるのである。





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