理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「光源氏と共に光の内を歩むということ」



JDR総合研究所 代表
天川貴之




 「源氏物語」の美学というものは、普遍的なものである。故に、それは、現代人の心にも響くし、ドラマにもなるのである。そこには、千年の時代を超越した永遠の調べがあるのである。

 光源氏のモデルと云われる源融にしても歌人政治家であり、百人一首にも、必然的に選ばれているのである。また、源融の邸宅とされる六条院も、清凉寺も、宇治平等院も、非常に文化的意義が高いのである。

 紫式部の時代において、「光源氏」と言えば、この河原左大臣・源融か、藤原道長しかいないのである。藤原道長の歌も遺っているが、多少世俗的であり、それは、まさに政治家の短歌である。

 恋歌と云うには、紫式部による「光源氏」を待たなくてはならない。河原左大臣・源融は、恋歌でも有名であるが、実際に、六条院や宇治平等院に住んでいて、現代にも、源融の仏像や神社が遺っているのである。

 このように、紫式部にとって、平安時代に生きた源融は、まさに光源氏であり、源氏物語の貴公子にふさわしいのである。

 紫式部にとっては、光源氏の恋歌の中に、永遠の「美のイデア」を刻印して、伝えたかったのである。それは、千年を貫く恋歌でもあり、千年を貫くメッセージなのである。

 この世界的な文学と言える「源氏物語」の中に、自分自身を投影してゆくことは大切である。光源氏と共に生きることは、「光ある時に光の内を歩む」ということでもあり、「光を掲げよ」ということである。その光は、まさしく愛の光なのである。

 このように、紫式部によって「源氏物語」の中に宿されている永遠のメッセージを、現代に活かしてゆくことである。





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