理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「理性的批判精神と合理的古典について」



JDR総合研究所 代表
天川貴之




 人類の歴史を貫いて遺っている哲学的古典というものは、合理的な書物ばかりである。それらは、透徹した理性によって批判され、吟味され、人類の古典的叡智と比較検討されながら叙述されたものが多い。

 例えば、モンテーニュの「エセー」ですら、そこには理性的批判精神が貫かれていて、不合理なものは見られない。また、エマソンの「エセー」であっても、それらは「叡智的直観」に基づいて述べられているけれども、その全てが透徹した理性の思索によって吟味されているのである。

 さらに、西田幾多郎や鈴木大拙においても、哲学的理性をベースに、宗教的実在、宗教的境涯というものが論述されていて、哲学的学問性が高いものである。また、当然ながら、カントやヘーゲルにしても、理性主義の権化のような方である。

 このように、真理というものを、理性の吟味によって、理性に訴える形で述べられている作品の方が、人類の歴史に遺るのである。明らかに非合理で変なものは、理性の吟味によって、修正淘汰されてゆくべきである。その方が、地に足がついている確かな学問であり、哲学であるということが言える。

 私は、理性的生産物としての書物にこそ、理性的悦びと落ち着いた深い安心感を感ずるのである。基本的に、理性の世界に住む住人になりたいのであり、自らの拠って立つ足場を、そこに置きたいのである。コツコツと、人類の古典となっている理性的作品を消化吸収しながら、自らも、理性的作品を生んでゆきたいのである。





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