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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「西田幾多郎の『場所』と プラトン アリストテレス プロティノスの『場所』について」 |
西田幾多郎における「場所」とは、プラトンの『ティマイオス』の「イデアを受け取る場所」、また、アリストテレスの『デ・アニマ』の「形相を受け取る場所」から来ている。しかも、その「場所」が能動的である点は、プロティノスの「一者」に近いものでもある。 このプロティノスの影響を受けて、アウグスティヌスの『神の国』や『告白』などの哲学神学が築かれてゆく。プロティノスは新プラトン主義であり、その根底にプラトン哲学の体系を持っているから、アウグスティヌスの哲学神学も、プラトン哲学の体系と軌を一にしているのである。 アウグスティヌスの『神の国』は、人類を代表する歴史哲学であって、プラトン的であり、時を経て、ヘーゲルの『歴史哲学』に、その精神は受け継がれてゆくのである。 同じく、西田幾多郎の歴史哲学に対する視差も、ヘーゲルとアウグスティヌスの「自覚」と「歴史哲学」を受け継いでいるものである。 それと共に、ヘーゲルに相対峙したキェルケゴールの実存哲学も、西田幾多郎の実践哲学において深く考察されており、また、『人生論』の三木清などのマルキストの歴史哲学も深く探究した上で、自らの自覚的歴史哲学を深めている。 さらに、西田は、『作られたものから作るものへ』や『見るものから働くものへ』などにおいて、神と人間の「逆対応」の呼応、神と人間の「卒啄同時」、親鸞聖人の「横超」などを哲学としている。 このような「絶対無の場所」に基づく「絶対矛盾的自己同一」の西田の大悟は、プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、ヘーゲルの「自覚」と大悟と同じである。それは、真の世界的日本哲学なのである。 |