理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「ヘーゲルの『小論理学』と神の概念的認識について」



JDR総合研究所 代表
天川貴之




 哲学的に思索してゆくということは、宗教的実在としての神仏を概念的に認識するということでもある。ヘーゲル哲学の『小論理学』の根本は、このような神の概念的認識にあると言えるのである。

 それは哲学であるから、その過程は、限りなく合理的であり、概念的思索の積み重ねである。しかし、概念的に思索されているからこそ、そこには哲学的安定性があると言えるのである。

 このような哲学的な理性的判断力は、精神的余裕を与えて、合理的思弁を与えるものである。理性の観点から考えて、不合理なこと、不条理なことを、一つ一つ、吟味判断することが出来るようになるのである。

 哲学というものは、たとえどのような書を読んだとしても、自ら主体的に考えることから始まるのである。思索の積み重ねこそが、哲学的営みである。一つ一つの現象と、そこから導かれた思索を、一つ一つ、吟味判断してゆくことである。

 このように、自ら主体的に考えるということを習慣にしている人にとってこそ、モンテーニュもエマソンも活きてくるのである。福澤諭吉もルソーもそうである。

 日々、理性的に生きてゆくことである。それこそ、学問の本分であり、哲学の本分なのである。

 哲学的に概念的に神を認識するということは、理念(イデア)の源としての神を認識することである。

 カントは、このような認識に対して消極的であるが、ヘーゲルは積極的である。ヘーゲル哲学において展開される所の神学的宇宙は、それが哲学的合理的である分、学問的であり、安心出来るものであり、理性的な吟味批判の対象となるものである。

 このように、魂や精神や神仏を認識しない西洋哲学というものは、本来ないのである。





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