理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「福澤諭吉と北里柴三郎の現代的意義とコロナウィルスについて」



JDR総合研究所 代表
天川貴之





 今回のコロナウィルスというものは、日本国において、新しいお札となる北里柴三郎のことを想い起こすべき契機であると言える。

 北里柴三郎は、日本の細菌学の父であり、コッホ研究所に留学して、ノーベル賞クラスの業績を挙げて、初代ノーベル医学賞の候補にもなったような人物であり、「抗体」という概念の創り主・発見者であり、かつ実践者でもある。

 この度のコロナウィルスに対しても、PCR検査だけではなく、「抗体検査」という血液検査があり、これによって、過去、コロナウィルスにかかっていて、「抗体」が既に出来ているか否かが分かる。

 先日も、神戸の市民病院で「抗体検査」をしてみた所、PCR検査をしていなかった人々も多い中、人口の何%かは、抗体を既に持っているという結果が出たようである。

 こうした既に抗体を持っている人の血液から、血清を創り出し、これを投与してゆくという方法も、北里柴三郎の抗体血清療法の、現代社会への応用実践であり、コロナウィルスに対しても応用実践出来るものである。

 北里柴三郎は、福澤諭吉に見出され、慶應義塾大学内に北里柴三郎研究所を創り、これが後に、北里柴三郎が福澤諭吉の志を継いで創設した所の慶應義塾大学医学部となるのである。

 大隈重信は、政治家で首相も務めたので、早稲田大学においては政治経済学部が看板学部となっているが、医学部はない。これは、大隈重信に医学者のキャリアがないことと関係しているとも言える。

 福澤諭吉は、大阪の医学者・緒方洪庵の適塾の塾頭を務め、その後に、自ら慶應義塾大学を創設したが、もともと、緒方洪庵の下で医学者の学問を修めて、教えていたのである。



〔 光明祈念歌 〕
福澤諭吉
北里柴三郎
活かすなり
慶應大学
医学部の祖なり
(貴)



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