理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「文学における芸術性と『理念の美』について」



 随筆やコラムや小説などの文学における芸術性というものは、一体どこにその本質が観られるのであろうか。

 まずは、何よりも、その作家の批判眼、批評眼の質に求められるであろうと憶う。何をどのように批判、批評するかということは、その作家の視点によって異なるものだけではなくて、その作家の心情心境のレベルによっても変わるものであり、そこには、感性的叙述もあれば、単なる知識的叙述もあり、また、理性の美しさを表現したものもあるのである。

 この理性的叙述における芸術性というものは、基本的に「理念の美」に基づくものである。こうした「理念の美」というものは、一朝一夕には築けないものであり、本当の古典文学というものには、そこに、この「理念の美」を顕したものが多いのである。

 例えば、ゲーテの随筆集であっても、その根本にあるのは、感性的叙述を通した、その背後にある所の「理念の美」の表現なのである。「イデアの美」の地上への投影顕現なのである。

 また、アウレリウスの『自省録』も、ルソーの『告白』や『エミール』であっても、同様に、その核心は「理念の美」であって、思索の美しさがそこに表現されているのである。

 ゲーテは、ルソーやカントやヘーゲルの哲学精神を継承して、それを文学を通じて表現することによって、文学というものを理念の芸術へと高めたのである。

 一口に文学といっても、文学における美しさというもの、芸術性、文学性というものには、確かに段階があるのである。それを綴った作家の精神性の違いによって、その文学の芸術性、文学性には段階があるものなのである。

 このように、文学というものは、単に美を追求しただけのものではないのであり、そこに、その作家が到達しえた独自の深い人生観や世界観を表現するものでもあるのである。



〔 光明祈念歌 〕
ハイデルベルク
散歩している
ゲーテのように
 理念の美をば
叙述してゆく
(貴)



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