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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「公益の哲学について」 |
「利自即利他」という言葉がある。これが、仏教でいう所の中道の哲学でもある。人間は、自分だけのために生きてはならないが、同時に、他者だけのために生きて、自分を見失ってもいけない、その両極端をなくすべきである、という意味にも解釈できるし、本当に自己を利することが、同時に、他者を利することにつながるような生き方をしてゆかなければならないのである、という意味にも解釈できる。真に「善く生きること」とは、利自が即利他につながるような生き方ではないかと思われる。
この利他の中には、公益に貢献すること、社会に貢献することが含まれているものである。この生き方が、人間の生き方としての中道であり、バランスのとれた奥の深い中庸の道ではないかと思われる。 「善く生きること」の善とは何かということは深い問題であって、一生に渡って、問いつづけてゆかなければならないことであろうと思う。個人の倫理道徳としての善も深いものであるし、社会の倫理道徳としての共通善も深いものであると思う。 そして、大切なことは、個人としての善が、同時に社会としての善になってゆくような生き方であろうと思う。自己の歩むべき一道において実現し、顕現させてゆくべき善が、同時に、社会全体の善、すなわち、公益に貢献してゆくような生き方を理想とし、実践してゆくことが出来たならば、一哲学徒としても本懐である。 善というものは、本来的に、普遍性、永遠性を有しているものであって、探究すればする程に、個人的な自我を超越し、他者と一体に結びつきをつよくし、さらには、全人類、全生命、さらには、歴史を超えた生命と一体に結びつきをつよくしてゆくものである。 このような永遠普遍の道徳律に基づいて生きてゆく所に、人格の尊厳が生まれてゆくものであると思うが、自らに内在している、先天的に永遠普遍なる全生命に貢献するような善き生き方をしたいとつよく願う理性的本性に忠実に生きていきたいと念う。 そして、限りなく自己の善の泉を掘り下げつつ、永遠普遍なる理性的意志を、公への貢献心として磨きつづけ、活性化させつづけてゆきたいと願うものである。 |