理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「理念哲学における美の理性的認識について」



 美というものは、理性的に認識するものであろうか。それとも、感性的に認識するものであろうか。

 まず、美として認識される素材が感性によって与えられることは確かであろう。しかし、その美の素材に対して意味づけするのは、理性の働きであることが多いのである。それ故に、第一印象とは別に、真に美しいか美しくないかという美学的判断は、理性的認識能力によってなされているといっても過言ではないのである。

 真善美聖のそれぞれの価値を判断するものは、理性的認識能力であって、理性というものは、個人の精神に内奥して、永遠普遍の理念に照らし合わせて、真と偽の価値判断をなし、善と悪の価値判断をなし、美と醜の価値判断をなし、聖と俗の価値判断をなすといえるのである。

 このように、理念に照らし合わせて、現象の理念性を判別する能力のことを、理性的認識能力というのであり、理念性があると判断された現象のことを、真象、善象、美象、聖象と、それぞれ呼ぶことが出来るのである。

 このように、理念という永遠普遍の価値の源が、個人の精神の内奥に実在していることが、永遠普遍の価値が実在している根拠となるのであり、理念を認識する理性が、万人の精神の内奥に実在していることが、万人が共通に理念的なるものを認識しうる根拠となるのである。

 このように、精神に内奥する理念と理性的認識力を前提にした哲学こそが、理念哲学であり、理念哲学の立場に立脚すれば、美という価値を判別するものは理性であり、理念性を有しているか否かという判断にかかっているのであるといえよう。




〔 理念光明祈念歌 〕
美の理念
求めてゆけば
人間の
理性の光
美象 射照す
(貴)



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