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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「『素直さ』を中心に据えた円相の愛について」 |
「素直さ」というものは、限りなく「自我」を虚しくしてゆくことによって獲得してゆくべき魂の美徳である。心が常に円相であれば、物事は全てうまくいくといえるのである。何か心に執われが生ずるということは、相手の方というよりも、自分自身の心が真に円相の心ではなく、何か執われがある証であるといえるのである。故に、常に良心に素直に心を振り返ってゆかなければならないし、それをつづけてゆかなければならないといえるのである。 例えば、「愛」という哲学であったとしても、真に相手のことを思いやりつづけなければ、「愛」の哲学を全うしているとはいえないし、その哲学を実践しつづけなければ、哲学が活きたものとして地上に根付くことは少ないといえるのである。「哲学」そのものであったとしても、常に探究しつづけてゆくことが大切であって、常に思索しつづけて、具体的に著述しつづけてゆくことが大切であるといえるのである。 その意味において、「素直さ」ということを中心に据えて、「愛」について、「哲学」について内省しつづけてゆくことも、必要不可欠であるといえるのである。真なる哲学者というものは、限りなく心を素直にし、円相にしてゆく方であるともいえるのである。 円相の心こそが、真なる「愛」であり、真なる円相の心をもてば、自然に「愛」の思いと行いをもつことが出来るし、円相の心を保ちつづけてゆけば、真なる「愛」が持続してゆくことが出来るし、円相の心のもとに、「愛」が勝利してゆくことが可能となり、「愛」が成功してゆくことが可能となり、「愛」が繁栄してゆくことが可能となってゆくのである。 真なる「愛」というものは、「自我」と対極の真なる「自己」である。そして、「神は愛なり」といわれるように、真なる「自己」とは、「神」に通ずるものであり、その本質は、円相の愛にあるといえるのである。 |
〔 理念光明祈念歌 〕 | |
常に観る | |
心の内の | |
円相の | |
月は澄めるか | |
自己を映すか | |
(貴) |