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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「審美眼によって顕れる神々の生命の実在について」 |
美しくなりたいという念いは、「神」へと通じてゆく念いである。何故ならば、「神」の本質に美があるからである。逆に、醜くなりたいという念いは、「神」から遠ざかる念いである。何故ならば、「神」の本質には、醜さというものはないからである。 では、一体何が美醜を分けるものになってゆくのであろうか。美というものが、ただ単に、感性的なものにすぎないのであるならば、「審美眼」というものが実在するであろうか。美というものは、「審美眼」によって、美たりうるのであって、「審美眼」を離れた美というものは、存在しないのである。 故に、主観的な美というものもあれば、客観的な美というものもあり、絶対的な美というものも実在するのである。この絶対的な美というものこそ「理念(イデア)の美」である。この「理念(イデア)の美」とは、どのようにして把握出来るのであろうか。「理念」が、或る時は真となり、或る時は善となり、或る時は美となり、或る時は聖となり、神となり、仏となるのであるならば、美そのものの中にある実在性をこそ、どこまでも探究してゆきたいと願うものである。 この「理念の美」というものは、実在であるから永遠普遍なるものである。例えば、ギリシア、ローマの神々の彫刻であっても、それが遺っているのは、必ずしも対象が神々であったからではなく、「審美眼」によって、彫刻そのものの中に、神々の御姿が顕れたからこそ永遠普遍なるものとして遺っていることの方が多いのである。 故に、各々の「審美眼」を永遠普遍なるものへと磨きあげ、「理念(イデア)の眼」と成し、「芸術家(本来哲人そのもの)の眼」を通して、天上の神々の栄光を人々の生命の栄光として、地上に幸えさせてゆこうではないか。 新生日本建設、新生地球建設の神々の彫像が、色どり鮮やかに、個性豊かに、永遠普遍なる「神話」として幸えてゆくことを、心の内奥より願っている次第である。 |
〔 理念光明祈念歌 〕 | |
冬紅葉 | |
暑さ寒さを | |
超えた赤 | |
桜の如く | |
散らず萌え居り | |
(貴) |
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青垣に | |
神吉城あり | |
アトリエの | |
神々の露 | |
朝の白菊 | |
(貴) |