理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「『宗教的弱さ』と それ故の許す愛 光一元の愛について」



 信仰心を剛くもつということは、人間として最大の美徳である。しかし、信仰心をもって「永遠の誓い」をなしたとしても、その多くは、無常な時間の流れと共に、退転してしまうこともある。そして、「尊敬の徒」から、「悪口批判の徒」へと転落してしまうことになるのだが、そこに、人間の本質的な「宗教的弱さ」を観ることが出来るのである。

 その意味において、「宗教的剛さ」を磨き、真に不退転の気概を培ってゆくことが大切になるのであるが、この時に、どのような心をもって、退転していった方々に接すればよいかというと、人間の「宗教的弱さ」をありのままに直視した上で、それ故にこそ、「悪口批判の徒」を「許す愛」の境地で包み込んでゆくということである。

 自らを裏切り、自らを傷つけた方をこそ、真に愛しつづけてゆくために「許す愛」があるのであり、その方の本来の実相を観じてさしあげたならば、神性、仏性、理性、良心においては一度も裏切ったことがなく、「信仰心」と「永遠の誓い」は生きているのであるから、どこまでも、その方の実相を観じつづけてさしあげればよいのである。

 それ故に、つまずく方をも愛しきる所に、「許す愛」と「光一元の光明思想」の主軸があるのであるという観点から、そのような時こそ、観世音菩薩の与え給うた一大光明芸術の瞬間であると思って、真に光明の愛をもって愛しつづけ、信じつづけ、心を寛くして、待ちつづけてさしあげればよいのである。これは、ある意味においては、自己の器を神から試され、魂が磨かれているのではないかという視点をもって、より一層剛い光明信念をもって、自己修行してゆけばよいのである。

 さすれば、自らの心を傷つけることなく、自らの神性、仏性、理性、良心を、より一層光輝かせてゆくことが出来るといえるのである。




〔 理念光明祈念歌 〕
踊り草
白い許しの
花片の
弱さを包む
剛さなりけり
(貴)



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