理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「平和の哲学における有事の発想について」



 有事の時というのは、平時の時と全く逆の発想をしなければならない。有事の時の正義の美徳は、平時の時の不正義の悪徳になり、平時の時の不正義の悪徳が、有事の時の正義の美徳となってゆくものである。

 その意味において、正義や道徳を論じてゆくにあたっては、その背後にある世界が、有事のものであるのか、平時のものであるのかをよく判別しておかなければならない。そして、有事の正義とは一体何であるか、有事の道徳とは一体何であるのかということを探究しておかなくてはならない。そして、それを、決して平時の正義や平時の道徳をもって裁いてはならない。

 「治に居て乱を忘れず」ということは、表面上の平和が保たれている時であっても、有事の正義や道徳を忘れず、有事に剛い人財を育成しておくということであり、その逆に、「乱に居て治を忘れず」ということは、表面上の戦争状態にあっても、平時の正義と道徳を忘れず、平時に剛い人財を育成しておくということである。

 真なる平和を保ってゆくためには、真なる平和の哲学というものが必要である。しかし、その平和が、「治に居て乱を忘れず」の有事にたずさわる方々によって、はじめて保たれているものであるということを忘れてはならない。そして、有事的な発想も、常日頃から少しずつ学んでおくことも、平時の努めの一つであり、平和の哲学の一つである。

 本当は、両方の発想が出来る人財が最善であるが、双方をそれぞれに養成し、それぞれの倫理道徳を高め、認め合っておくことも大切である。真なる平和の哲学を構築し、真なる平和を実現しつづけてゆくことこそ、真なる有事の発想の根本動機なのである。



〔 理念光明祈念歌 〕
武者人形
平和の哲学
胸に持ち
有事即応
五月風かな
(貴)



このホームページのトップへ 


「平和の哲学における有事の発想について」 に対する
ご意見・ご感想などございましたらご遠慮なくお寄せください。

ご意見・ご感想はこちらから