理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「天来のロゴスと国家百年の大計 世界千年の大計について」



 何故、本物のロゴスは「金剛石」と呼ばれるのであろうか。例えば、ダイヤモンドを「金剛石」として考えてみると、ダイヤモンドよりも強固なるものこそ、真なる天来のロゴスであるといえるのである。

 この地上のあらゆるものは、存在しているようにみえて、時の流れと共に存在基盤を失って無くなってゆくのにかかわらず、天来のロゴスは、確固不動である。そして、あらゆる存在しているものを、主体性をもって創造し、変革させてゆくことが出来るのである。その姿をみていると、あたかも、鉄という存在が、ダイヤモンドという真実在を象徴するものによって自由自在に形を変化させられ、逆に、ダイヤモンドの方は傷を受けることなく、不変不動であることと似ている。

 哲学者の思索した真実在であっても、それが本当の真実在であったならば、不動不変であり、永遠不滅である。そして、同時代においては、同じ存在のようにみえるかもしれないけれども、やがて、五年、十年、百年を経てみると、その永遠普遍さは、雲泥の差が出てくるのである。

 故に、天来のロゴスを、真に同時代において見極められる眼力を培っておくことは大切であり、具体的には、何故、一握りの歴史的人物が、日本史や世界史に遺ってゆくのかという研究が大切であり、その上で、そうした方々に、同時代において一定の相応な立場を与えてゆくことは、国家百年の大計を考え、世界千年の大計を考えてゆく上で、必要不可欠な視点であるといえるのである。

 天来のロゴスに対して、真に歴史を動かしてゆく真実在としての敬意を表し、尊重してゆけば、国家は真に栄え、地球という星は真に栄え、その逆もありえるのである。そして、天来のロゴスを真に観じてゆけば、自然に、国家百年の大計、世界千年の大計が観じられてゆくのである。



〔 理念光明祈念歌 〕
天来の
ロゴスは
不滅
年輪を
重ねつつ咲く
富士桜かな
(貴)



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