思想家というものは、力が剛い訳でも、交渉力巧みに外交的な活動をする訳でもないのに、大きな影響力を有する。かのフランス革命においても、J・J・ルソーは、どちらかといえば繊細で内向的な人間であるにもかかわらず、力の剛い志士達を無限無数に動員し、数多くの交渉力巧みな政治家達を動員し、世界史的な一大事業を完遂している。
人間は考える葦であると述べた哲学者が居られたが、人間の本当の強大な力の源は、思想の力そのものに実在しているのではないだろうか。思想家は、ほとんど一人で仕事をなすことが多いが、その思想の具体化となる一大事業については、何万倍、何億倍の人々の働きが加わることがあるのは不思議である。逆に、志士達や政治家達も、特定の思想がなければ、天命を見失い、自らの信念、信条を見失うというぐらいに、思想というものは、活動の真なる原動力なのである。
その意味において、思想に携わる方は、本来、一般に巨人と思われている方々よりも、巨人なのかもしれない。その影響力は、とうてい一人の人間の業であるとは考えられないのである。その意味において、真なる思想家と呼べる方々は、真なる時代精神を思想の内に宿らせた極少数の方であろうといえるし、その背後には、天の摂理が働いているといえるが、この影響力の大きさは、一つの奇蹟といえるかもしれない。
思想家はその影響力の大きさによって、かの預言者のように、奇蹟の業を世界史に展開してゆくのである。そして、その契機となるものは、一握りの本に展開されたロゴスにすぎない。一握りの抽象的なロゴスが、確実に、人々の魂の内奥に実在しているロゴスを捉え、根底から時代を変えてゆく様は、世界史を観じてゆく上で、最高の劇的展開であるといえるのである。 |