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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「理性による理念の体系の認識について」 |
理念(イデア)とは、いかにして認識されうるかということは、哲学上の一大課題である。理念(イデア)とは、いいかえれば真理そのもののことであり、物事の理(ロゴス)そのもののことであり、物事の本質そのものであるといえる。故に、哲学者に内在している理性の輝きをもって、物事の本質にある理念(イデア)を射照すことによって、同質の理性が、理性的なる実在を認識しうるといえるのである。 理性的なる実在というものは、真理そのものであり、善そのものであり、美そのものであり、聖そのものであり、理法として一つの体系をなしているものである。故に、その一大体系の内の一つ一つを認識してゆくことこそ、哲学的営みであるといえるのである。 例えば、倫理学上の「善」とは何であるかという課題について、「善」の本質を様々な角度から探究し、思索してゆくことは、最も基本的な哲学上の営みであるといえるのであり、理念的な「善」の体系というものは、理性によって発見される以前から実在している究極の真実在であるといえるのである。 このような「善」というものは、人間の感性的認識によっては認識されないものであり、理性的認識によって認識されるものであるので、「善」というものは、感性上においては、どこにもないものであるといえるが、理性上においては、ありありとした実在であるといえるのである。そして、どちらがより真実在であるかといえば、変転しやすい存在よりも、変転しない善そのものの方であるといえるのである。 真なる哲学者というものは、内なる理性の「光」を有している者であって、内なる理性の「光」によって、外なる理念の体系を射照し、これを直覚において把握し、概念によって思索し、言語に翻訳することの出来る者であるということも出来るのである。そして、その理念の体系は幾重にもあり、膨大な量と質をもつ一大体系であるので、その一端を、それぞれに洞察し、思索し、書物に展開しているといえるのである。 |
〔 理念光明祈念歌 〕 | |
若蘆や | |
哲学しつつ | |
空を観て | |
そのままにして | |
理念の体系 | |
(貴) |