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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「諸現象を統べている『究極的実在』としての 『光』と『理念』(イデア)と『生命』について」 |
叡智的光明とは、人間の「生命」を射照らす「光」である。「光」というものは、本来、一つの「生命」である。「光」とは、大宇宙、大自然を貫く「理法」そのものであり、「法則」そのものであり、あらゆる諸現象を「統」べている「究極の実在」である。 本当にあるものを探究してゆけば、それは、現象的な存在にあるのではなく、「究極的実在」としての「光」、「究極的実在」としての「理念」(イデア)、「究極的実在」としての「生命」に到達するのであり、人間観においても、世界観においても、「究極的実在」としての「光」を中軸にして考察し、「理念」(イデア)を中軸にして考察し、「生命」を中軸にして考察してゆくことこそが、大切であるといえるのである。そして、そこに、人間観としての尊厳と、世界観としての尊厳が生まれてゆくといえるのである。 それ故に、哲学や宗教や芸術は、人間が、「究極的実在」としての「生命」の本質を自覚し、「善く生きる」ことを実践してゆくための必要不可欠の王道であって、人間を、人格ならしめている根幹であるといえるのである。 人間は、本来、生まれながらにして、「究極的実在」としての「光」を内包しており、「理念」(イデア)を内包しており、「生命」を内包してる存在であるが、自分自身を真に自覚できないが故に、「究極的実在」を自覚できず、「光」を自覚できず、「理念」(イデア)を自覚出来ないだけなのである。 故に、真なる叡智的光明の顕れとしての「光」と「理念」(イデア)と「生命」の実在している、哲学や宗教や芸術を通して、真に自分自身を知り、真に他者を知り、真に国家を知り、真に世界を知り、真に宇宙を知ってゆけば、真に、大宇宙、大自然の理法に則って「善く生きる」ことを実践してゆくことが出来、真なる「天命」を全うしながら、あらゆる悪しき業(運命)を立命し、あらゆる善き業(運命)をさらに立命し、あらゆる面において、運命を開拓し、「究極的実在」としての「光」と「理念」(イデア)と「生命」の天の栄光を、無限無数に、人格を通して、地上に実現し、顕わしてゆくことが出来るのである。 「究極的実在」としての「光」と「理念」(イデア)と「生命」を尊重してゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |
〔 理念光明祈念歌 〕 | |
貴船には | |
秋明 | |
の 花 | |
匂えども | |
いやまさりたる | |
理念(イデア) | |
愛 | |
あり | |
(貴) |