理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「『価値』を与えることと慈しみの本質について」



 慈しみというものは、他者に与えることであって、他者から奪うことではない。与えるということにも様々なものがあり、その本質は「理念」である。すなわち、真、善、美、聖という様々な「価値」である。

 「価値」というものの内実は、実は、限りなく精神的なものである。哲学者は、真理を洞察する知恵(叡智)によって人々に「価値」を与え、人格者(モラリスト)は、善を洞察し、実践する愛(慈悲)によって人々に「価値」を与え、芸術家は、美を洞察し、実践する創造力(想像力)によって人々に「価値」を与え、宗教家は、神聖なるものを洞察し、自らの人格に体現する信仰心によって人々に「価値」を与えてゆくものである。

 そして、真なる「理性的実存」としての人間は、様々な分野において、ある時は、真を体現し、ある時は、善を体現し、ある時は、美を体現し、ある時は、聖を体現し、人生において、「価値」を実現し、「価値」を与えてゆく存在である。この「価値」の輝きとは、神性の輝きであり、仏性の輝きであり、理性の輝きであり、真心の輝きであり、良心の輝きである。

 この与ええた「価値」というものが、結局のところ、人生の真価そのものを長い眼でみて決定してゆくものである。その珠玉の如き愛と光明の結晶は、人々の理解、不理解を超越して、人々の非難、称讃を超越して、天の摂理によって、必ず、正当に公平に平等に評価され、報いられてゆくものである。

 故に、天の摂理を信頼し、自己の内なる良心に忠実に、その時点、その時点の何らかの「価値」を人々に与え、見返りを求めることなく天に全託してゆけば、そこに真なる幸福が育まれ、真なる勝利が育まれ、真なる繁栄が育まれ、真なる健康が育まれ、真なる愛と光明の結晶が自然に顕現し、現象化してゆくのである。

 真に慈しみの心をもって、自分自身に出来る範囲の「価値」を与えつづけてゆけば、必ずや、主体性をもった「自由意志」によって、自らに与えられた運命を開拓し、立命し、周囲に愛と光明を掲げながら、人生という「自己実現」を全うしてゆくことが出来るのである。

 自分自身の人生を通して、また、自分自身の天分を通して、そして、自分自身の持ち場に立脚して、真なる慈しみの「価値」を与えつづけ、光として掲げつづけてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



〔 素直哲学光明祈念歌 〕
初嵐
過ぎて
遺れる
実在の
「価値」
を示せり
天王山
かな
(貴)



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