光明メッセージ
Japanese Dream Realization



「『無常 苦 無我 不浄』の悟りと その奥にある大般涅槃経の悟りについて」


JDR総合研究所 代表
天川貴之




 諸君よ、「無常 苦 無我 不浄」は、仏教の基本的な悟りである。

 諸行無常であることを悟ること、一切皆苦である苦諦を悟ること、自分が自分がという思い、自分のものだという思いを離れて、無我の境地を悟ること、不浄のこの世的執着を離れ、天国極楽を目差すこと、これらのことは、悟りである。

 しかし、「大般涅槃経」においては、それらの悟りを前提として、「常 楽 我 浄」の悟りが説かれるのである。それは、永遠不滅の実相の悟りである。真なる実在のイデアの悟りである。常楽我浄の真如の悟りである。

 イデア的大悟の我こそ、実在である。常なる実在こそ、法としての大我である。真なる楽想こそ、真如の幸福、仏の幸福である。不垢不浄こそ、真なる空相であり、実相的真如である。真理そのものの姿である。

 このように、「大般涅槃経」においては、小乗仏教的な悟りである「無常 苦 無我 不浄」の奥に、大乗仏教の真髄である「常 楽 我 浄」の真如的真理が説かれるのである。

 このように、「法華経」から「大般涅槃経」にかけて、常有相のイデアそのものの実在が説かれてゆくのである。如来の真如としての仏性の実在の姿が如実に説かれてゆくのである。

 四諦八正道によって反省して阿羅漢に達し、利他行によって菩薩の境涯に達して、さらに、「大般涅槃経」が説く所の、常楽我浄の如来の大悟に達するのである。






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