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光明メッセージ | |
Japanese Dream Realization |
唯神実相哲学というものは、すべての存在の奥の奥に内在されている神性、仏性、良心、理性を真に観じてゆくということである。そして、不動不変の「永遠普遍の人間」「永遠普遍の世界」を観じてゆくということである。 神性、仏性、良心、理性は、万人に必ず宿されているという点で平等である。しかし、「自己内省」の度合において、その顕現レベルに違いがあるという点において、秩序があるといえるのである。その心の階層的秩序が、各種の次元構造論において、三次元世界のみならず、四次元世界の神性、五次元世界の神性、六次元世界の神性、七次元世界の神性、八次元世界の神性、九次元世界の神性という様に、神性の顕現度において、「質」の違いを示しているのである。 例えば、心の平均神性の顕現レベルが六次元世界にあるという方々に煩悩が無いかというと、まだまだ神の光を遮る煩悩が存在するといえるのであり、七次元世界の方も同様なのである。本篇は、真なる菩薩や天使や神々を志す「志」の高い方々のために、理念的実相そのものの真理の光明をもって、真理そのものから観た反省を著述したものである。 故に、本篇の理念(実相)の諦観をされてゆけば、自ずから、自らの煩悩を通して、理念的実相そのものが諦観出来るように創られているのであり、真なる反省行に打ちこまれた方々に真如の世界を観じさせ、真如の光明を顕現させてゆく源となってゆくのである。 本篇の理念(実相)の諦観をなしてゆけば、「心清き者は幸いなるかな、汝は神を観るであろう」という真理が如実に顕現してゆくことでもあろうと思う。神(理念)を観るものは、同じく神(理念)そのものである。この理念(実相)の諦観という修行論そのものが、真に神と共にあり、神と一体となって善く生きてゆく王道であるといえるのである。 真なる理念(実相)の諦観のもとに、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。 |
《光明祈念歌》 | ||||||||
春雨や | ||||||||
慈悲の | ||||||||
光に | ||||||||
輝きて | ||||||||
清浄の国 | ||||||||
創り給えり | ||||||||
(貴) |