諸君よ、倫理道徳の基本は「礼」の精神であるといっても過言ではないのである。「己に克ちて仁に復るを礼となす」と論語にあるように、「仁」というものは限りなくストイックな「自律の精神」に基づく「礼」の精神にこそ実在するといえるのである。「礼」の精神が根本から欠如しているのが、日本国の本当の危機の本質であり、本来敬うべきものを敬わず、本来畏れかしこむべきものを畏れかしこまず、本来神聖なるものを神聖なるものとして尊重してこなかった「罪」と「恥」と「無知」の精神態度こそが、日本国における「死に到る病」であるといっても過言ではないのである。
本来、「死に到る病」とは、精神的なる根本価値理念に対して述べられているものであって、物質的経済以上に、根本的に国家の根本と成ってゆくものである。「礼」の精神が、家庭においても、会社においても、学校においても、地域社会においても、国家においても、真に心身共に体現され、実践されていれば、ほとんどの社会問題や教育問題や青少年問題は解決できるものなのである。その意味において、「礼」の精神こそ、真なる「人格の条件」であり、「人間の器」を測るモノサシであり、勝敗を超越して、自分自身に真に勝利する精神態度の根本であり、自分自身に真に勝利することによって、他者を真に愛し、社会を真に愛し、国家を真に愛し、地域を真に愛する根本であるといえるのである。
どのような分野においても、「礼」の精神の深さ、広さ、高さによって、真なる人格と品格と徳性が測られることが、真に「秩序と礼節」のある、健全で、自由闊達な、明るい、平和な社会であるといえるのである。「あいさつ」一つ出来ない大人やリーダーや社会人が存在すること自体、日本国家としての「恥」そのものであり、「真心」のある配慮や、「他者」に対する人格の尊重や、「国家」に対する尊厳の尊重が欠けた社会風潮など、日本国の伝統文化と誇りと青少年の「大いなる夢」を根本から汚すものである。
真に「魂の教育」を成し、日本国民、並びに、日本国に「魂」を入れてゆかなければ、真なる「精神的ジャパニーズドリーム」、真なる「精神的グローバルドリーム」、真なる「精神的ユニバーサルドリーム」など無いのである。「魂の根本治療」を成してゆくことによってのみ、真に日本国の運命は開拓され、真に地球の運命は開拓され、真にそれぞれの地域社会の運命は開拓されてゆくのである。
真に自分自身に勝利せよ。真に自分自身の良心と理性と神性と仏性と道徳律に勝利せよ。「生きてゆく姿勢」そのものを根本から問い糺し、真に「気品の泉源」「知徳の模範」となる君子的青少年を、様々な分野に創出してゆけ。
真なる「魂の教育」によってのみ、日本国は根本から国家としての「生きる姿勢」そのものを正し、「筋」の通った諸政策を柔軟に選択し、「信用立国日本」を、新生日本ルネサンスとして、新生地球ルネサンスとして、真に創出してゆくことが出来るのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。
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