諸君よ、小泉純一郎新総裁を中心にして、新保守自由主義の理念を全うしてゆくことは可能なのである。「保守」ということは、日本文化の伝統を大切にしてゆくということであり、かの福澤諭吉の「帝室論」にもみられるとおり、道徳倫理の国民精神の「統合」の象徴として大切に尊重してゆくということは「不文律」であり、永遠普遍の自然法であり、「国家百年の大計」としての「自主憲法の制定」も、その延長上に実在するのである。故に、積極的な改憲論議も活発的になってきているといえるし、首相並びに各閣僚のリーダーシップが真に発揮されてきていると評価出来るのである。
日本の伝統文化の尊重なくして、真なる「国家百年の大計」も、「国家百年の大計」を実現してゆくための「魂の教育」も真に出来ないというのは正論中の正論であり、福澤諭吉の思想の核心であり、西洋の諸文化摂収の際における中軸であったといえるのである。故に、「国際的武士道」の「魂の教育」を「学問」の場において為してゆくことが大切に成ってゆくのである。
その上で、「言論の自由」と「信教の自由」と「経済活動の自由」が真に保障された「自由」な社会が顕現してゆけば、全体としても、個人としても、各社会組織としても、バランスのとれた健全な「大調和」裡なる発展繁栄が可能と成ってゆくのである。「国のかたち」を、哲理として根本から見据えてはじめて、真に「日本国」の真の姿を観ずることが出来、「日本人」の真の姿を観ずることが出来、真に「自他一体」に、自国も他国も「独立自尊」「自己信頼」「自主独立」の精神で拝み合う、真に良好な関係を構築してゆくことが出来るのである。
真に「秩序と自由」「統合と個性の開花」のバランスのとれた政治活動、経済活動、教育活動、芸術活動、科学活動こそが、真に諸国民の心を一つにし、同時に国益を真に増進してゆきながら、地球益をも増進してゆく大道を、あらゆる面において二重にも三重にも補填し合いながら顕現し、本来の福澤諭吉の哲理の実相的真象を顕現させてゆくことが出来るのである。福澤諭吉の哲学思想、信条の中には、東洋精神と西洋精神や、古来の日本精神と、近代の合理的精神や、新時代のルネサンス精神を真に止揚しうるだけの思想的器が本来実在するのである。
福澤諭吉の個性的実相を日本国の個性的実相として、小泉純一郎新総裁の下で、心を一つにして拝み出してゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。
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