諸君よ、新保守自由主義の哲理とは、それぞれの国家の伝統精神を尊重しながら、同時に自由闊達な社会を創造してゆくということに本質があるのである。その意味において、新保守の理念の中には、伝統文化を通して、道徳倫理の徳を通して、社会風土を築いてゆかんとする精神があるのである。
そして、健全な道徳倫理のもとに、真なる意味における「自己信頼」「独立自尊」の理念を育んでゆくことこそがその根本にあり、こうした「自己信頼」「独立自尊」の主体性なき自由は本当の自由ではなく、また、天につながり、大宇宙、大自然の原理につながる道徳倫理に裏うちされない自由も、本当の自由とはいえないのである。
自由にも実相というものがあり、理念というものがあり、真理というものが実在するのである。それ故に、真なる自由は真なる秩序となり、真なる秩序は真なる自由となってゆくのである。このような「絶対矛盾の自己同一」的な哲理とは、一種の「悟り」の言葉であって、その「門」を透過してはじめて、真に実感されるものなのである。
「理念」というもの自体が「悟り」の言葉であり、それを直覚するためにこそ、真なる「般若」の修行をしてゆかなければならないのである。その意味において、「般若」の智慧を目差して、知識の奥に真理を観ずることを、大切な哲学の眼目としてゆかなければならない時代が「新時代」であるといえるし、新生日本ルネサンス、新生地球ルネサンスのキーワードの一つであるといえるのである。
真なる哲学的叡智とは、「般若」の智慧と一つであり、「慈悲」の博愛と一つであり、大宇宙を貫く理法そのものである。それ故に、大宇宙の理法としての「理念」を、まず「悟り」の命題として掲げた上で、よくよく禅定し、心空しくし、真に「素直」な境地をもって、物心共なる繁栄と健康を通した平和と幸福と文化創造の大道を育んでゆきなさい。
真に「謙虚さ」と「感謝」と「礼節」をもって「理念」に相対し、真理としての「実相」を拝み出してゆけば、真なる「自由
平等 博愛」の真理が、真なる「中心帰一」の真理として幸え、新生日本、新生地球の生命の実相を、理念の体系そのものとして、神の国そのものとして、仏の国そのものとして、理念(イデア)の国そのものとして、真に幸えてゆき、あらゆる方の生命を光明で射照らし、本来の姿、「統合と個性の開花」「秩序と自由」の哲理の、柔軟に伸びやかに幸えた姿として、「真象」そのものとして示顕してゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。