諸君よ、「自然」という言霊には、幸えを生む力が実在するのである。これは、「素直さ」と同じく、悟りの言葉である。故に、常に小悟を積み重ね、大悟に到るまで、一生を通して心身共に精進してゆかなければならないのである。勝利の時にも「自然」であり、敗北の時にも「自然」であり、賞讃された時にも「自然」であり、非難された時にも「自然」であり、健康の時にも「自然」であり、病気の時にも「自然」であり、繁栄の時にも「自然」であり、衰退の時にも「自然」である。
さすれば、「自然」の心境は「空」の境地と成り、勝利も敗北も超越した勝利一元、常勝の実相世界、賞讃も非難も超越した肯定一元、常肯定の実相世界、健康も病気も超越した健康一元、常健康の実相世界、繁栄も衰退も超越した繁栄一元、常繁栄の実相世界が、光明浄土として顕現してゆくのである。
「今」あるすべてのものに感謝せよ。さすれば、真なる「今」が観え、そこから、真なる未来が「大いなる夢」として「自然」に拓けてくるのである。「今」あるすべての自己に感謝せよ。さすれば、真なる「今」ある自己が観え、そこから、真なる「自己実現」が始まってゆくのである。常に「今」に感謝し、「自然」体をもって望んでゆけば、逆説的ではあるが、そこに飛躍的な奇跡が顕れてゆくのである。
常に「自然」に徹するが故に、そこに、天の栄光が真に顕現してゆくのである。常に、あらゆる「恐怖心」や、「傲り」や、「プレッシャー」から真に「自由」になれば、真に心身共なる「自然」中「実相」、「自然」中「理念」、「自然」中「法性」、「自然」中「宇宙」の「かくあるべき」世界が、「かくある」世界として顕現してゆくのである。
このような悟りを目差して、日々日々足元を固め、着実に、堅実に、適切な努力目標を設定して、その過程が「悦び一元」「楽しさ一元」「明るさ一元」「剛さ一元」になるように歩みつづけてゆけば、自ずから物心共なる天の栄光が、繁栄と健康を通した平和と幸福と文化創造の恵みとして、天から「自然」に、適切な時に、適切な場所で、適切な機会に与えられてゆくのである。それを、「無執着の全託」の内に「自然」に授かってゆけば、「自然」な成果となって、「自他一体」に活かしてゆく大道と成ってゆくのである。
物心共に、真に「木鶏たれ」。さすれば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。