諸君よ、あらゆる人間の本性として与えられているもの、人間の本能として与えられているものに「道」をつけてゆけば、それは、真なる大道となってゆくのである。すべては天の配材であり、天の摂理から与えられているものである。故に、それらすべてを極端に否定することは偏った見方である。しかし、単純に肯定することも、偏った見方である。すべては素材であって、その素材をもとに、いかに昇華し、一大光明荘厳の芸術と成してゆくかということが肝要なのである。それが「アート」の本質である。
自然に与えられたものに対して、自己の内なる理性、良心、感性等を磨いてゆくことによって、ヒューマニズムの文化の大輪と成してゆくことこそ、天が天の子人間に求められていることなのである。その意味において、様々な個性をもった人間が、その全存在を深い所から絶対肯定しあい、積極的に、建設的に、明るく、朗らかに個性的実相を顕現してゆけば、バランスのとれた、心身共なる繁栄と健康を通した平和と幸福と文化創造が生まれてゆくのである。
例えば、人間が本性としてもつ「愛」と「恋」と「性」の感情であっても、それぞれの中庸、中道が大切であり、バランスがとれながら、大らかに健全に発展繁栄してゆくような、自由闊達な文化風潮が必要なのである。「愛」や「恋」や「性」に対しても、感謝、謙虚さ、礼節をもって、その個性的実相を礼拝してゆけば、少子化問題に対して根本的解決となりながら、文化を無限無数に創造してゆくことが出来ることであろう。「愛」なき「恋」は本物ではないし、「愛」なき「性」も本物とはいえないであろう。この三者が三位一体となって、「道」として確立してゆくことも、大切な道徳倫理であろう。
そして、このような人間の本性や本能のエネルギーを、理念エネルギーとして活用昇華してゆけば、それは、成功哲学、勝利哲学、繁栄哲学、健康哲学の根本要素の一柱となってゆくのである。
文化的光明荘厳の境地をもって、すべてのすべてを活かしてゆけば、心身共なる繁栄の時代が本格的に始まってゆくのである。あらゆる所に新時代の芸術の源があり、ビジネスのチャンスがあり、逆境転じて一大光明芸術と化してゆく視点が実在するのである。
限りなくストイックに、すべてのすべてに「道」をつけ、限りなく清豊の思想をもって、すべてのすべてに「光明」を掲げ、光明荘厳の大道としてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。