諸君よ、和歌には「言霊」の実現力が実在するのである。和歌には一つの「宇宙」が実在するのである。一つの「生命」が実在するのである。その一首は、まさしく、一体の神像であり、仏像であり、ギリシャ彫刻の理念(イデア)の像と同じなのである。
一見、短い詩であるように思えるものも、よくよくその本質を観ずれば、短いが故に、その「伝統的形式」の内に全ての全てを刻印することが出来るのである。その中に、その方の人生のすべてのすべてを創造することが出来るのである。
そして、究極においては、本来、和歌一首において、「言霊」による天地創造を成すことが出来る程の可能性を有しているのである。そして、教育的見地からみれば、和歌は、人間の神性、仏性、理性、良心を目覚めさせ、内奥なる理念的実相、個性的実相を顕現せしめる力を有しているのである。
故に、真なる和歌の実力を培うことを通して、日本精神の真髄を学び、情緒を培い、「言霊」に対する感性を培い、「言霊」を通して、無限無数の天の栄光を地上に顕現してゆこうではないか。和歌によって、物心共なる繁栄も、平和も、幸福も、健康も、愛も、希望も、勇気も、エネルギーも、全ての全ての善きものを、真に幸えさせてゆこうではないか。
その意味において、「光明祈念歌」の実力を磨いてゆきなさい。「光明祈念歌」を通して自らを育み、他者を愛し、社会を愛し、日本国を愛し、地球を愛し、銀河を愛し、大宇宙を愛してゆきなさい。まさしく、かの山上憶良が述べられたように、日本国は「皇神の厳しき国」であり、「言霊の幸ふ国」そのものなのである。和歌を通して、君民一体となった無限無数の幸えを地上に顕現してゆくことこそ、「大和の国」(だいわ)の国の理想そのものである。
真なる「光明祈念歌」の実力を、己が「言霊」の実力、己が「精神」の実力そのものとして、己が「心境」そのものとして磨いてゆかれれば、真に日本国の運命が開拓され、真に地球の運命が開拓され、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。
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