JDR公開理念情報 

 光明メッセージ
Japanese Dream Realization






「真なる人間観から真なる国家観が生まれ 真なる自己信頼から真なる精神的独立が生まれる」




  諸君よ、かのJ・J・ルソーは、本来「政治制度論」という大著を構想されていたというが、「社会契約論」は、必ずしも軽薄な意味における民主主義礼讃の書ではないのである。「もし、神々からなる人々があれば、その人々は民主制を選択するであろう。これほどに完全な政府は人間には適さない。」(社会契約論)という見識は、民主主義の欠陥について、J・J・ルソーが深く洞察されていたことを示している証である。

  それでは、民主主義を否定されていたのかというと、それが本意のはずがないであろう。すなわち、「民主主義の実相」「民主主義のあるべき姿」、すなわち「理念民主主義」「理念自由主義」への視点が、既にその中に発見されるのである。その原点は、「人間をあるがままのものとして、また、法律をありうべきものとして取り上げた場合、市民の世界に正当で確実な何らかの政治上の法則がありうるかどうかを調べてみたい。」(社会契約論)という、人間の本質の探究を通した法律と政治制度の探究という視点に到達するのである。

  「人間」というものを、「あるがまま」の存在として問うということに立脚して、「ありうべき」法律を探究し、そして、「政治上の法則」を、「理念政治学」として探究しようとされているのである。故に、J・J・ルソーは、「道徳感情論」という人間の道徳倫理の哲学の大著も同時に構想されていたのである。

  「人間を考える」姿勢なくして、国家の伝統精神(日本国の伝統精神)や、国家と国民(日本国と日本人)について考えることが出来るであろうか。結局のところ、「人間観」と「人間道」の探究こそが、「国家観」と「国家道」の探究につながってゆくのである。そこで、日本国の「国体」について探究してゆく時に、福澤諭吉の「帝室論」や、中江兆民の「一般意志」と日本的国体の探究や、西田幾多郎や、和辻哲郎や、松下幸之助の国体哲学等を深く根源的に探究してゆかなければならないといえるのである。

  そして、それは、「理念経営」の視点とも一致し、「理念資本主義」「理念自由主義」「理念民主主義」とも基本的に一致してゆくものであることは、松下幸之助が実践的モデルの一つを既に実証されているといえるのである。

  「理念自由主義」「理念民主主義」という根本理念にしても、それぞれの国家の伝統と文化と歴史が異なり、オリジナリティーとアイデンティティーが異なる以上、それぞれの違いを認め合い、讃嘆し、その個性的実相を礼拝し合ってゆこうとする姿勢こそが、真なるグローバリズムであり、真なる日本国の主座を保つということであり、自国を真に愛しながら、地球全体に貢献してゆくということであろう。

  その意味で、日本国民は、もっと日本国に対しても、地球全体に関しても、責任感と使命感をもち、積極的に「精神的独立宣言」をなした上で、アメリカや、EUや、アジア、アフリカ等と、「自己信頼」と「天の摂理」に対する「信仰心」と、「和」の精神と、「国際性」の精神と、「自主性」の精神をもって、「敬天愛人」を実践してゆかなければならない。「一身独立して一国独立す」ということは、個人の「人間哲学」を確立してゆくことによって、国家の「日本の哲学」を確立してゆくことである。

  真なる「人間観」と、真なる「国家観」が、真なる「経営理念」として定まってゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。




《光明祈念歌》
 かげろう
陽炎や
 革命の火の
   穏やかに
 日々の春日を
 讃え
燃え
立つ
(貴)        .




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