JDR公開理念情報 

 光明メッセージ
Japanese Dream Realization






「先哲の道の実相は繁栄の理法そのものにあり」





  諸君よ、繁栄を真に愛せよ。さすれば、繁栄から真に愛されるのである。繁栄を素直に肯定せよ。さすれば、自ずから繁栄してゆくのである。大宇宙、天地人、万物は、本来すべて繁栄そのものである。繁栄こそ実相であり、本来の姿なのである。繁栄の理法が真に観じえないということは、正しく観ずるということが出来ていないからである。

 正しく観ずることが出来ない心を、煩悩というのである。「貪」の心も、繁栄から遠ざかる心である。「瞋」の心も、繁栄から遠ざかる心である。「痴」の心も、繁栄から遠ざかる心である。「慢」の心も、繁栄から遠ざかる心である。「疑」の心も、繁栄から遠ざかる心である。かの老子のいわれる「無名無欲」の心の実相とは、繁栄の心そのものなのである。

 世の中の方の俗説は、いか程真に老子といわれている方が繁栄をしておられたか悟れないだけなのである。老子は敢えて「秘すれば花」を実践しておられたにすぎない。敢えて叡智を隠され、敢えて芸術性を隠され、敢えて武士道を隠され、敢えて仁義礼智信の王道を隠されていたにすぎない。よって、老子こそ至高の君子であり、至高の武士でもあられ、大富豪でもあられたのである。

 「柔よく剛を制す」という柔道の幽祖は、老子であられる。孔老の道というのは本来一つであって、別々のものではない。真理が個性的に応化しておられるにすぎないのである。そして、その精神は、神道の惟神の道と趣旨を同じくするのである。岡倉天心のいわれる「隠すことによって美を発見する」という大和芸術の一面と趣旨を同じくするものなのである。よって、日本には、本来孔老の道も内在されていたのである。未発の「中」の原理原則が、永遠普遍の理念として実在したのである。

 「貪」欲を「空」じて無欲の大欲なる者が、真に大繁栄革命を成し遂げ、「瞋」を「空」じて安心立命の大義なる者が、真に大繁栄革命を成し遂げ、「痴」を「空」じて叡智光明の哲人こそが、真に大繁栄革命を成し遂げ、「慢」心を「空」じて、謙虚、感謝、礼節の君子こそが、真に大繁栄革命を成し遂げ、「疑」心暗鬼を「空」じて、信頼、信用、信仰、信義の士こそが、真に大繁栄革命を成し遂げ、新天新地の神の国そのもの、仏の国そのもの、理念(イデア)の国そのものを地上に顕わしてゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



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