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光明メッセージ | |
Japanese Dream Realization |
諸君よ、「武士道とエロス」というものにも理念はあり、哲学はあり、芸術はあり、神聖な宗教性はあり、大道はあり、一大光明荘厳芸術は実在するのである。「英雄色を好む」というが、その色とは、必ずしも欲望であるとは限らないのである。欲界を超えて、色界を超えて、無色界に到ることができれば、真の意味における如来の英雄となり、理念の英雄となり、真理の英雄となるのである。
故に、真なる英雄は真理を好むものであり、時代精神を好むものであり、絶対精神の顕れたる哲学、宗教、芸術を好むものなのである。それは、アレキサンダー大王や、シーザーや、ナポレオン等の例を出すまでもない。信長や、信玄や、謙信の例を出すまでもないのである。古今東西に普遍的に実在する史実である。
そして、理念英雄の精神性は、時代精神の顕現そのものであり、絶対精神の顕現そのものであり、イデアそのものであり、理念そのものであり、実相そのものである。かかる真象を、地上における肉体という神の創られた形式を通して永遠の生命を付与せんとするものが、ギリシャ、ローマの精神そのものであり、新生日本ルネサンスの精神そのものなのである。肉体という形式に顕れた神々の精神の美しさ、精神の芸術性を後世への遺産として遺してゆくことは、人類の至宝を創造してゆく上で大切なことである。
例えば、彫像にしても、絵画にしても、戯曲にしても、映画にしても、オペラにしても、ある時はゲームソフトとしても、無限無数の芸術文化を創造してゆくことは、同時代の方々を楽しませるだけではなく、後代の方々をも楽しませ、魂の糧を与えつづけてゆくことができるであろう。肉体という形式も神の創られた尊い形式である。天の摂理である。「五七五七七」のように、本来「型」が予定されており、その「型」を、例えば武道として顕わした時に、そこに偉大なる芸術が、天の栄光として顕現するのである。
これより後、武士道の「型」の芸術性を深い所から鑑賞してゆく文化が育まれてゆけば、そこから新しい日本ルネサンスの一大光明芸術が創造されてゆくことであろう。大和武命にしても、須佐之男命にしても、神武天皇にしても、天御中主神にしても、天常立神にしても、国常立神、伊邪那岐神にしても、あらゆる神話の神々の遺された「型」が、大いなる理念として武士道文化が育まれてきたといえるし、今後さらに、一大光明芸術として復興されてゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。