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光明メッセージ | |
Japanese Dream Realization |
諸君よ、「笑う門には福来たる」という言葉は真理であり、真実である。古事記の神話の中でも、「天の岩戸開き」が高度な笑いの修法によって成し遂げられたということは、神道を考えてゆく上でも大切な観点である。
それ程に、古事記に登場してこられる神々は、天真爛漫であり、屈託なく明るいのである。心が透明であって、なおかつ朗らかであるということは、「清明心」ともいい、幸福と繁栄と平和な世界を創造してゆくために大切な哲理である。これも簡単なことであるが、実践するのが難しいものでもある。
西洋にもベルグソンの「笑い」の哲学というものがあるが、笑いの中にも哲学があり、多種多様なる道があるといえるのである。そして、悟りの道も用意されているといえるのである。かのチャップリンやディズニーも天使である。もちろん、天宇受売命も世界に誇る芸術の神であられる。簡単でシンプルな逸話の中に、実は高度な哲学思想、政治哲学や、経済哲学や、芸術哲学や、教育哲学や、科学哲学が含まれているということが、古事記を解釈する秘鍵なのである。
それが、神々の生命の足跡であられるが故に、そこに永遠普遍のロゴスがあられるといえるのである。人間的な、あまりに人間的なエピソードの中に、神々的な、あまりに神々的な真理が散りばめられているといえるのである。それはどこか、ゼウス神やアポロン神の時代のギリシャの神々の世界と似ていよう。
この自由闊達な文化潮流こそが、ルネサンス文化を創り上げる源となったといえるのであり、中世キリスト教社会に、新風を春の女神のように吹き寄せ、天上世界の御姿、イエス・キリストの御姿、ダビデの御姿、天地創造の御姿に、限りなく洗練された一大光明芸術の光を掲げられたといえるのである。
今また、古事記の神々にも、新生日本ルネサンスの風が、ギリシャの風のように、ヨーロッパの風のように、ある時にはアメリカの風のように、大いなる光明の神風として吹き抜けていっているのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。