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光明メッセージ | |
Japanese Dream Realization |
諸君よ、絶対無の国家哲学が、実は自由主義の国家哲学であるということを、よくよく銘記しておきたいと思う。
絶対無には統合精神が必要だからといって、それを絶対者として上から押しつけて、自由や個性を許さないような国体ではないということである。これは、かえって絶対無の逆の国家像であるといえる。
絶対無の国家とは、伝統精神を統合精神とし、中心精神としながらも、それを土壌として、その上で、自由主義、個性尊重主義を重視して、むしろ独自の風土の上に、様々な個性的な華を開花させてゆくことを旨としているのである。
日本でいえば、神道を中心とした文化的土壌の上に、日本的色彩のある仏教が華開いたり、日本的な色彩のあるキリスト教が華開いたり、日本的色彩のある儒教が華開いたり、日本的色彩のある哲学が華開いたりしていくことを、最も尊重する考え方なのである。
これは、これまでの日本史が実証している日本の伝統精神ではないかと思う。あくまでも日本精神という統合精神のもとに、あらゆる個性が、その風土のもとで、大調和に華開いてゆくことを理想としているのである。
この日本の伝統的な精神のあり方をあえて積極的に哲学的な概念で表したものが、絶対無の政治哲学なのである。そして、それを具体化した理念が「統合と個性の開花」なのである。これは、日本神道を統合精神として国体の中心に据えても、決して全体主義にならないことを示している。全体主義と逆の自由主義をこそ目差す国体理念なのである。
何故なら、神道が絶対無の場となって多くの個性を開花させ、発展繁栄させてゆく姿を理想としているからである。日本という場そのものが、本来絶対無として機能してきたし、今後もしてゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。