諸君よ、アメリカにおいて聖書の前で大統領が宣誓しておるのは、アメリカの伝統文化がキリスト教であるからである。
一方、日本において、天皇の任命を受けて首相が就任するのは、日本の伝統文化が神道であるからである。故に、日本は、根本的に神道そのものを統合精神の中心として根本的に見直さなくてはならないといえるのである。かかる統合精神のもとに、日本は様々な個性を開花させる「自由」の国となってゆかなくてはならないのである。
故に、「統合」と「自由」ということは、真の意味において両立するのであり、多くの国においては、その文化的伝統の中心精神を統合精神としながら、同時に「自由」を国是とし、「個性の開花」を理想とするのである。
国家としての中心は、やはり、その国の国家精神の中心が求められるのであり、その国体精神の中心を探究する哲学思想こそ、その国のオリジナリティーを決するものであり、かかる絶対精神としての哲学、宗教、芸術を開花させてゆくことこそ、真の意味におけるルネサンス運動であるといえるのである。
その意味で、日本ルネサンスの中心理念は、新生日本神道精神以外には考えられないのであり、その意味で、世界的普遍性をもつ日本の哲学思想、日本の芸術、日本の宗教がしっかりと探究されなくてはならないのである。
この土台の部分が新生日本ルネサンスの核であり、これが開花してはじめて、新生日本は生まれ、グローバルな使命を果たしてゆくことができるのである。
アメリカにおいては、その一つがキリスト教(聖書)であったが、日本においては、古事記のみならず、本格的な新生日本神道がその中心におかれるように、新時代はなってゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。