諸君よ、英雄というものは英雄によって発見され、発掘され、育てられてゆくものなのである。英雄の歴史的評価は非常に難しい所もあるが、かのナポレオンやクロムウェルでさえ、その真理価値、理念価値が定まるのに時間を必要とし、偉大なる歴史家や評論家を必要としたのである。
また、英雄というものは、政治的英雄だけが英雄という訳ではない。文化的英雄に位置づけられる方も多いのである。例えば、J・J・ルソーやゲーテやエマソンやヘーゲル等は、文化的英雄の最たる方々であるが、未だにその評価、真価が定まっていないことも多い。
J・J・ルソーからナポレオンが生まれ、ゲーテが生まれ、エマソンが生まれ、ヘーゲルが生まれたということは、J・J・ルソーが、諸々の英雄の父にあたる方であられるということは間違いないのである。
一見繊細に見えるが、それは感受性に優れておられるからであって、その実相は文化的英雄そのものである。叡智的英雄そのものである。
諸君らは、よくよく偉人の実相を確かに観ぜよ。確かに正しく観よ。天の御心に沿って観よ。さすれば、歴史観が、より天の御心にかなったものに観えてくるであろう。時と所と人を得て、巨人がその本来の姿を明らかにするということが、歴史的にはよくあることなのである。時代精神が一体何であり、世界精神が一体何であったかということも、百年後、五百年後、千年後、一万年後、それ以上後に判明することも、場合によってはあるのである。
そして、日本国の縄文以前の神々の評価についても、二千年以上経て判明しているというのが新生日本の姿そのものであり、本来価値があり、真理そのもの、光そのもの、天意そのものであった時代精神、世界精神が、時と所と人を得て復興し、ルネサンスし、より洗練された新生日本のビジョンとなろうとしているのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。