諸君よ、若さには若さの特権がある。同時に老いには老いの特権がある。かのキケロの「老境について」は、老境の美学であり、哲理であり、信条でもあろう。かの老子の処世訓の中には、老若を超越した老境が述べられている。孔子の処世訓の中にも、名誉や地位を超越した指導者の心境が述べられている。人生にも様々な季節があるように、人間の心にも様々な季節がある。様々な色合いがある。その一つ一つを丁寧に敬い、学んでゆくことが、人生に幅と深みと厚さを創ってゆくことになろう。
故に、若い頃から、人生を通して様々な古典を学びつづけることは、万人にとって王道であると思う。古典に古いも新しいもない。真理に古いも新しいもない。故に、永遠普遍の生命を保っているのである。
時には孔子に学び、本来の静けさと奥ゆかしさと荘重さに念いを馳せながら、同時に吉田松陰や坂本龍馬や福澤諭吉や西郷隆盛の行動力を旨としてゆかなくてはならない。こうした先人達の行動力の源となったものこそが、古典に脈づいている真理のエネルギーであり、それは汲めども尽きず、無限に湧出してくるものである。
そして、真理は、現実の世界において、その方の独自の個性に基づいて活かされた時期に、はじめてその方にとっての真理となり、その方の人生の真珠として光明を放ってゆくようになる。古の聖人君子の遺された真理を敬い、尊びながら、同時にその中に若き血を吹き込め。若き魂の記録を吹き込め。さすれば、真理はあなた自身のものになりながら、万人のものとして輝きを放ってゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。