諸君よ、年若くとも、その志の偉大さにおいて偉人は存在するというのが、歴史上の真理である。年若くとも、その天才において既に歴史的存在になっておられる方が存在するというのが、歴史上の真理である。
吉田松陰にしても、坂本龍馬にしても、橋本左内にしても、久坂玄瑞にしても、高杉晋作にしても、西郷隆盛にしても、近代日本の礎を築かれた方は、20代、30代である。ならば、この世代を真に教育し、導き、天才教育を徹底的に施してゆくことこそ、真の国益につながり、同時に世界貢献してゆくべき道ではないだろうか。
そして、国家を越えて、その国の代表、象徴として、数多くの偉人天才達が積極的に交流し、共に手を取り合って地球の未来のビジョンを創ってゆくことこそ、今、日本の国家百年の大計を創り、世界百年の大計を創ってゆくことになるのではないだろうか。よくよく足下を照らしてみれば、明治維新の頃以上に、数多くの偉人天才の卵達が潜在しているのではないだろうか。
ならば、私塾を挙げて、大学を挙げて、企業を挙げて、地域社会を挙げて、国家を挙げて、偉人天才を一人でも多く発掘し、守り、導き、育て、最高度の多様なる華を咲かせてゆくことにおいて協力してゆこうではないか。それが、永い眼でみて、後世の方々に対して出来る最大の贈り物ではないだろうか。偉人天才は、型破りでも、型破りな方がよいこともある。個性的であっても、その個性故にしか開拓できない未知なる世界があるのかもしれない。
人類の運命を拓く鍵は、偉人天才を優遇してゆく道にもある。一人一人の若い偉人天才が育ってゆくだけでも、全く新たなる大調和の世界、神の花園が開けてゆくものなのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。