諸君よ、何事も小さなことを疎かにしてはならない。小善も疎かにしてはならない。小善を積み重ねてゆけば、自ずから大善となる。小善の中にも道があり、小善を真に大切にしてゆく姿勢の積み重ねが、大きな実りをもたらすこともあるのである。
故に、一挙手一投足の中にも、仁徳を体現せよ。片言隻句の中にも仁徳を体現してゆけ。指導者というものは、時には小善をおいても、大善を選択しなければならないことはある。しかし、それは小善を疎かにしてよいということではない。
小善を慈しみ、大切に思う心は常に保っておかなくてはならない。たとえ小事であろうとも、心配りを怠ってはならない。相手の中に一片の理を見い出し、相手の中に神性仏性、良心理性を見い出し、宝として尊重し、敬い、常に相手の立場に立って配慮をするということを心の習慣にしてゆきなさい。
一見、逆説のようではあるが、常にやさしさと思いやりを忘れないということが、その方自身を救い、守り、導き、そして大善を観じさせ、大局を観じさせ、大いなる夢を観じさせ、大いなるビジョンを観じさせるということも、真理なのである。一人一人の人間の心の動きが観じられなければ、世の中の流れも、世の中の大局も、世の中のニーズもシーズも充分に発見することはできない。
しかし、同時に時代精神の動きを観じ、世界精神の動きを観じ、一人一人の人間の実相を観じ、一国一国の実相を観じ、世界全体の実相を観じ、宇宙全体の実相を観じてゆくためには、常に永遠普遍の理念、真善美聖の理念を観じる習慣をつけてゆかなければならない。この双方が人生の現実の中で真に止揚される時期、その方は真に不易流行なる「永遠の今」を生きておられるといえるのである。
すべからく「今」の中に天の栄光を光り輝かせよ。さすれば、すべてが、善転してゆくしかないのである。すべてがよくなってゆくしかないのである。必ずや一条の大道が拓かれ、すべての方の運命が真に開拓され、本来の幸福と繁栄と大調和の浄土が顕れてゆくのである。