諸君よ、犯罪に対して厳しくあるという姿勢は大切である。「本来罪なし」という理念と、「犯罪を処罰すべし」という理念とは、本来一致するものである。すなわち、本来罪なき実相を観ずることは、現象の罪を否定することと矛盾しないからである。実相に対しては、実相論、実相哲学をもって、現象に対しては、現象論、現象哲学をもって相対してゆかなくてはならない。この双方があってはじめて、この地上の社会秩序が保たれるからである。
人間の本来罪なき実相を観じながら、なおかつ現実の罪を、執われなく、「空」の境地をもって、一つ一つ公正に糺してゆくことは大切な正義である。正しいものは正しいものとして、断固として主張しなければならない。犯罪は犯罪として、厳しく取り締られなければならない。実相哲学を奉ずるからといって、刑法上の明確な罪を放置しておくことが天の御心にかなっているとはいえない。実相哲学を現実の中に活かし、罪を罪とし、罰を罰とし、糺してゆく中にこそ、更なる社会秩序が生まれてゆくのである。
諸君よ、断じて妥協することなく社会正義を全うせよ。社会正義を全うするために、一致団結せよ。社会正義を愛し、社会秩序を全うする愛というものが、健全に社会が平和に大調和し、発展繁栄してゆくために大切である。社会秩序を創ってゆくことそのものが人々を愛してゆくことであり、その意味で、社会犯罪を公正に処罰してゆくことが、多くの人々を真に愛してゆく道であるといえるのである。
圧倒的なる光明信念をもって、圧倒的なる実相信念をもって、圧倒的なる善意をもって、なおかつ公正に、法と理性と良心に忠実に、社会秩序を全うする愛を体現せよ。そこにも天の栄光は顕れるであろう。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。