諸君よ、すべての偉人や歴史的偉業の実相をこそ観ぜよ。
どのような偉人にも、偉業にも、全く完全ということはほとんどない。しかし、偉人が偉人たる所以は、そこに実相の真理そのもの、実相の精神的太陽そのものの一端を、たとえ部分的であっても輝かしている所にあるのである。
故に、偉人や偉業を通して、実相そのものが地上に真象として顕れたことを尊重し、たとえその一端であっても、その輝きを尊重してゆくことが大切である。偉人の輝きの奥に、実相の神の全き御姿があられるのである。偉業の輝きの奥に、全き実相の神の国が実在しているのである。
たとえ、100%でなくともよい。確かに神の輝きが顕れ、神の国の輝きが顕れえたならば、それを大いに尊重してゆこうではないか。大らかに肯定的に、評価してゆこうではないか。一つ一つの長所と個性の輝きを貴しとしてゆこうではないか。
一つ一つのかけがえのない長所の宝石と個性の宝石を大切にしてゆく精神があれば、それだけの自由闊達で寛容で平和で、祝福と讃嘆に満ち満ちた風土があれば、それこそ神の国に最も近い国ではないだろうか。
大調和の時代とは、一人一人の良識によって育まれ創ってゆかれるべきものである。その意味で、一人一人が主役であり、一人一人が責任を負っており、一人一人が何らかの才能と天分と天命をもち、一つの時代に幸えているのである。
大調和の時代を創らんとして相和し、深い所から協調してゆく所に、天の栄光が幸えるのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。