JDR公開理念情報 

 光明メッセージ
Japanese Dream Realization co.,ltd






「一期一会の神の国を顕わせ」






 諸君よ、晴れ渡る秋空の如く、心広々と生きよ。澄み渡る風の如く、爽やかに生きよ。心が晴れ渡っているということは、他の何ものでもない、諸君ら自身の心に何の曇りもないということの証である。心の内に大海を望め、心の内に鳥を飛ばさせ、心の内に舟を浮かべよ。諸君らの心の内に、いかなる神の国そのものを想い浮かべることができるかということに念いを馳せよ。

 神の国とは他の何ものによってではない、自分自身の心によって創ってゆくことができるのである。自分自身の心の内に育み、展開してゆくことができるものなのである。そして、諸君らの心の内に、確かに神の国が創られているという証は、自然に諸君らが観たくなる自然によって知ることができるものなのである。

 たとえ同じ空間に同じ時間に存在したとしても、観る方によって風景は様々に変わるものである。同じ環境におかれても、ある方にとっては神の国に観えるものが、ある方にとっては別のものに観える。どのような風景であったとしても、その中に大いなる神の国を見い出してゆくことができたならば、今そこに、神の国が顕れるのである。神の国は、彼方にあるものではない。今ここに、実在するものである。

 そして、神の国そのものも、心の時間の流転に従って、様々な空間を顕わしてゆくものである。そこに四季が巡り、時代風景が流転してゆく。しかし、その様々な旅の如き時間の流転の中に、神の子人間は様々な神の国を顕わしてゆける存在であり、実在である。かの芭蕉の如く、かの西行の如く、時間の旅人である神の子人間も、様々な神の国、仏の国を発見し、様々な神の国、仏の国を顕わしてゆくことが可能である。

 その意味において、あらゆる風景とは、一期一会しかない。何故なら、その風景とは流転せる心の影の投影であるからである。しかし、心の内なる神性、仏性、実相、理念の顕れ度合いによって、個性の色合いの違いによって、様々な神の国が描かれてゆく。その意味で、諸君らの顕わしうる神の国も、様々な可能性が秘められている。その心の内なる神の国を、ある時は詩をもって、ある時は俳句をもって、ある時は和歌をもって、ある時は絵をもって、ある時は音楽をもって、ある時は哲学をもって、様々に織りなしてゆきなさい。そこに真実でありながら多様なる神の国が幸えるのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。





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