諸君よ、光明荘厳の境地こそ、本来惟神の大道であるということについて述べておきたい。
人生において、様々なことを経験されるであろうが、それらは、どのようなことであっても、本来悪ではない。本来罪ではない。本来マイナスではない。一見悪にもみえ、罪にもみえ、マイナスにもみえるのは、すべて、全き神の御心の不在でしかない。全き光明の不在でしかない。全き叡智の不在でしかない。全き愛の不在でしかない。全き芸術の不在でしかない。全き大道の不在でしかない。
そこに、本来あるべき光明を発見すれば、光明一元となって顕れ、そこに本来あるべき叡智を発見すれば、叡智一元となって顕れ、そこに本来あるべき愛を発見すれば、愛一元となって顕れ、そこに本来あるべき芸術を発見すれば、一大光明芸術となって顕れ、そこに本来あるべき道を発見すれば、大道となって顕れるのである。故に、惟神の大道とは、本来狭い道ではない。広い道であり、すべてのすべてである。
故に、すべてを真に活かし、すべてに神の生命を与え、すべてに光が顕れるのである。惟神の大道に、本来捨てるべき人間はない。惟神の大道に、本来捨てるべき本性もない。惟神の大道に、本来捨てるべき経験もない。惟神の大道に、本来捨てるべき物もない。惟神の大道に、本来捨てるべき時間もなく、空間もなく、歴史もない。
すべてのすべてはこれ、惟神の大道であって、その本来の実相を観じ、発見し、悟り顕わす時期、そこにそのまま、光明荘厳の神の国が顕れるのである。すべての人に物に太陽の光明の光を点ずることこそ、惟神の大道であり、大和の国の本義なのである。故にすべて救われ、すべてが幸えるのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。