諸君よ、世界をもっと明るく観よ。あなた方が観ている世界とは、客観的なものではないのである。あなた方の心次第によって、いかようにも変化して観えてくるものなのである。
故に、今あなたの周囲を見渡して、ここは暗い世界だと感じたならば、暗くしている当の本人は、自分自身であるのである。そのことに気がついたならば、物事を明るく観るようにせよ。明るくみればものの価値も変わって観えてくるのである。すべてのものが光輝いて観えてくるのである。
ある方は、自分が住んでおる世界が、天国のように明るいとか、ある人は、自分が住んでおる世界が、地獄のように暗いとかいっているけれども、これらは、すべて自分自身の心象風景が、映し出されているのであって、自分自身の観方の現われなのである。このように世界観というものも、結局のところ主観的要素が強く、明るく観る傾向のある方の世界観は明るくなるし、暗く観る傾向のある方の世界は暗くなるものなのである。
そこで、明るさというものが幸福を呼ぶ心であり、神の属性であるならば、明るさで心を照らし、明るい心をもって世の中を照らしてゆくことこそ、我々の使命ではないのか。我々は、徹底的に明るい光明浄土というものが、いかに素晴らしい世界であるかということに、目覚めなければならない
明るい光明の観方とは具体的には何であろうか。それは、より一層すべての人やものの実相を、礼拝するということである。より積極的な観方をして、消極的な観方をしないということである。より肯定的な観方をして、否定的な観方をしないということである。より建設的な観方をしてゆくということである。より朗らかな心でものごとを観てゆくということである。
すべてのものや人に対して笑顔をもって相対し、笑顔をもって観てゆくということである。また、短所を小さくみて、長所を誉めて伸ばしてゆく観方である。悪い所を小さくみて、善い所を大きくみてゆく観方である。
このように、光明的な観方が徹底してゆけばゆく程に、自分自身の心も光明に満たされ、同時に周囲の世界が、無限に光明浄土そのものに観えてゆくのである。そして大いなる光明の人生観、光明の世界観が生ずるのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。