諸君よ、どのようなことがあろうとも、光は光として超然としてあればよいのである。光は光として本来の姿にいるだけで、周囲の毀誉褒貶は自然にはねかえってゆくのである。それが人格の法則である。人格そのものから光が出ておれば、どのような悪しき見方も偏見も批判も、すべてはその方自身に反作用となって返ってゆくのである。
光ある人格であっても、それは円満に評価する眼にはそのように映るが、偏りのある眼には必ずしもそのように映らないことがある。しかし、それに対して、一つ一つその見方は間違っていると諭す必要はない。光ある人格は、超然としてそれ自身の光明を放って、なごやかにおられたらよいのである。
偏見に対して抗う必要はない。偏見はその方にはねかえり、いずれその方自身が反省せざるをえないようになるのが、心の法則である。光ある人格は、光そのものの徳力によって、誤った方々を自然に感化してゆく力を有しているのである。清浄円満なる人格に対して、何びとも不浄なる念いを投げかけることはできないのである。自浄円満なる人格の姿そのものが、自然に周囲を浄化してゆくのである。
故に、君子は、常に自浄円満なる光の人格を築くことのみに、心をくだけばよいのである。そして、光ある言動をなすことのみに、心をくだけばよいのである。その他のことは、光が自然に仕事をして、多くの人々を感化してゆくのである。特に時間を経れば、そのことが明らかになってくるのである。
徳のある方は、超然として、周囲の何ものにも影響を受けず、同時に、自然に感化を及ぼしてゆく。光は高きから低きへと自然に流れてゆくのである。低き所から光は影響を及ぼすことは難しいのである。
光があることが、周囲に光明荘厳たる磁場をもたらしているのであるから、あなた方は、常に光ある人格を体現せよ。光ある人格をもって自らを守り、多くの人々を導いてゆきなさい。光とは、すべてのものの中で最高の力である。何ものも光に抗うことはできず、光に導かれるのである。光ある人格をもって光の言動をなされる時、周囲の何人たりとも、良き感化力の影響を、受けないものはないようになるのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。