JDR公開理念情報

 「義塾メッセージ」
Japanese Dream Realization





「真なる『心の冒険者』こそが
真なる『フィロソファー』であり、世に光を掲げてゆくものである」





 塾生諸君に述べておきたい。立身出世の基となるものは、まず何よりも、「心」そのものの内実を培ってゆくということである。「精神」そのものの内実を培ってゆくということである。「志」そのものの内実を培ってゆくということである。

 真に世に出てゆく前において、「心」や「精神」や「志」の総合的実力を、いかに深く、高め、広めえたかということは、「学問」の真なる内実であるといえるのである。そして、そのことは、「学問」と全くかけ離れて大切なものではなく、「学問」の根幹そのものであり、「心」や「精神」や「志」を真に極めてゆくためにこそ、「学問」が存在しており、真なる「エピステーメ」(真知)、真なる「良知」、真なる「般若」というものは、「学問」の真髄そのものなのである。

 その意味において、真なる学問の大道というものは、光の大道となるのであり、愛の大道となるのであり、人格形成の大道となるのである。その意味において、真に「学問」の場において評価されなくてはならない「価値」とは、知識の量だけではないのである。

 たとえ、外からは観えにくいものであっても、様々な人間関係の心の冒険や、自己内奥の心の冒険や、世界的視野をもった心の冒険や、様々な分野における心の冒険が大切であり、様々な「心の経験」によって培われた「知恵の結晶」こそが、真なる珠玉であり、将来において、「叡智の結晶」として、立身出世の過程において育まれ、その本来の種子を伸ばし、顕在化させてゆくといえるのである。

 故に、様々な知識を大切にしながらも、知識を、ただ単に受け身の形で学んでゆくことのみを貴しとせず、積極的に主体性をもった能動的諸活動をなし、能動的諸活動の中で、古今東西の「叡智的真理」を一つ一つ探究し、真なる「独立自尊」の精神をもって思索し、自らの「哲学的真理」を、たとえ少しずつでもつかみ取っていただきたいと切に願うものである。

 真なる思索は、様々な喜怒哀楽の体験(経験)に裏うちされてはじめて、活き活きとしてくるものであり、真なる体験(経験)は、様々な角度からなされた、それぞれに「一片の理」がある思索に裏うちされてはじめて、活き活きとしてくるものなのである。その意味において、真なる「心の冒険者」こそが、真なる「フィロソファー」であるといえるのであり、やがては、真なるリーダーとして大成してゆかれるといえるのである。

 それこそが、心の「若さ」の永遠の原点であり、「心の冒険者」として、真なる「フィロソファー」として、一生涯、それ以上にわたって、自らの「問い」を深く高め、広めつづけたかということが、人生において、真なる光明の宝石となり、自然に世を照らす光明となり、真に身を立て、世に出ていった証となってゆくのである。

 真なる「心の冒険者」として、真に学び、真に問い、真に思索し、真に活動し、真に愛し、真に光明を掲げつづけてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。




〔義塾光明祈念歌〕
喜怒
哀楽
 春夏
 秋冬
     輪廻して
縁は巡る
  
  掲げつ
       (貴)         .



[ 2001年8月23日 ]



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