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「哲学的コラム」 | ||
Japanese Dream Realization |
「西田幾多郎とショーペンハウアーと解脱涅槃の哲学について」 |
西田幾多郎の説く所の純粋経験の最深奥の形態である「知的直観」とは、ショーペンハウアーの説く所の「意志なき純粋直覚」と同じである。それは、天才のみならず、哲学者の知的直観であるものである。 このように、ショーペンハウアーの認識論、芸術論、宗教論において、西田幾多郎の純粋経験と同じことを述べている所も多々あるのである。 哲学的認識において、このような知的直観は極めて重要なものである。ショーペンハウアーは、知的直観に優れた不滅の哲学者であり、その哲学は、純粋哲学とも一致している。 かつての日本国において、デカルト、カント、ショーペンハウアー(デカンショ)と云われたこともあるが、それは、西田幾多郎とショーペンハウアー哲学の真理が一致するからであり、それがまた、仏教哲学の解脱の精神とも一致するからである。 ショーペンハウアーの説く意志なき純粋直覚とは、般若による解脱涅槃の境涯であるが、西田幾多郎における知的直観も、このショーペンハウアーの哲理と仏教的認識論とも一致しているのである。 西田幾多郎の哲学の門(無門関)は、カント、ヘーゲル、ショーペンハウアーの哲学の門はまた、臨済禅でもあるものである。 それは、己が知的直観を磨いて、様々な見性体験をしてゆくことである。そして、解脱涅槃の境地を己が哲学的境涯としてゆくことなのである。 |