理念情報

 「哲学的コラム」
Japanese Dream Realization



「プラトンとカントのイデア(物自体)と西田幾多郎の意識現象の実在について」



JDR総合研究所 代表
天川貴之




 「イデア」というものの実在をプラトンは説く訳であるが、それはまた、「理念」の実在というものである。哲学は、ここから始まる。ソクラテス、プラトン、アリストテレスより、哲学は始まるのである。

 そして、現代哲学もまた、ソクラテス、プラトン、アリストテレスにその原点を置いていることが多いのである。

 西田幾多郎の哲学であっても、真なる「純粋経験」においては、主客合一の意識現象に現われた真理そのものを「実在」とするのであり、意識現象の彼岸(外)にイデアを観るものではない。ここに、カント以来の主客対立の認識論を踏まえた上での、西田哲学における意識現象論が出て来ているのである。

 自己の意識現象の中に、止揚発展する一大精神の実在を感得するのである。自己の人格の奥底に、根底実在としての神仏のイデアを発見見性してゆくのである。

 西田哲学におけるイデアとは、人格意識の根底に発見思考されるものであって、意識現象の外にある実在ではないのである。

 同じく、天上界の実在というものも、肉体を持った人格の地上存在の意識現象の主客合一の中にある根底実在として発見・思考・見性してゆくのである。

 このように、西田哲学においては、カントのように、イデア(物自体)を、理性認識の主客分離における実在とはとらえないのであり、また、プラトンにおいても実在界と地上界の分離があるが、それらにも対応しているのである。





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